日本大百科全書(ニッポニカ) 「シッド」の意味・わかりやすい解説
シッド
しっど
El Cid
(1043―1099)
中世カスティーリャの英雄的騎士。本名ロドリーゴ・ディーアス・デ・ビバールRodrigo Díaz de Vivar。エル・シッド(シード)ともいわれる。しばしばカンペアドールcampeador(戦勝者)の異名を伴う。シッドは本来「主人」を意味するアラビア語。中世後半、キリスト教徒に仕えるイスラム教徒が敬称として用いたものが、とくにカスティーリャの貴族であった彼の通称となった。
シッドは、カスティーリャ王フェルナンド1世の宮廷で養育され、やがてサンチョ2世の筆頭家臣に取り立てられたが、同王が暗殺された(1072)のち、かわって王位についたアルフォンソ6世とは仲がうまくいかず、周囲の陰謀も手伝って結局同王から国外追放の処分を受けた(1081)。その後、一時国王との和解もなったが長続きせず、シッドは直属の部下を率いてレコンキスタ(国土回復戦争)という中世イベリアの特殊情況の下に波瀾(はらん)の生涯を送った。
追放後、シッドはまずサラゴサのイスラム教徒の王に仕え、バルセロナ伯やアラゴン王を相手に戦った。イスラム教徒から「シッド」の敬称を与えられたのはおそらくこのときの功績による。その後、同じくイスラム教国であったバレンシアに干渉して、これの保護者を自任、1094年にはその支配権を握った。当時アルフォンソ6世を含めてキリスト教スペインの諸王が北アフリカのムラービト軍の前に連敗するなかで、シッドだけはこれを退けて、バレンシアをいわばキリスト教スペインの防波堤とした。死後、忠君の功を報いられない悲劇の英雄となり、その生涯は中世ヨーロッパ叙事詩の傑作の一つ『わがシッドの歌』Cantar de Mío Cidを生んだ。
[小林一宏]