シュトフ(読み)しゅとふ(その他表記)Willi Stoph

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュトフ」の意味・わかりやすい解説

シュトフ
しゅとふ
Willi Stoph
(1914―1999)

ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の政治家。ベルリンで労働者の子に生まれる。建築労働者出身。1928年共産青年同盟に加入、1931年共産党員。1933年ナチス政権下で非合法活動に入り、1935年兵役、第二次世界大戦に参加。1945~1947年ソ連占領地区における経済行政府で局長、1948年ドイツ社会主義統一党(SED。後のドイツ連邦共和国民主社会党)経済部長、1951年ドイツ民主共和国総理府経済局長として再武装に貢献。1952~1955年内相、1953~1989年党政治局員、1956~1960年国防相、1961~1964年副首相、1964~1973年首相兼国家評議会副議長、1973年ウルブリヒトの後を継いで同議長(元首)に就任したが、1976~1989年ふたたび首相。ドイツ民主共和国崩壊後、1991年5月~1992年8月逮捕拘禁。13の殺人訴因について1992年11月裁判開始。健康上の理由で釈放されたが、ベルリンにおける逃亡者射殺命令の責任を問われ、1993年9月有罪判決。

[中川原徳仁]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュトフ」の意味・わかりやすい解説

シュトフ
Stoph, Willi

[生]1914.7.9. ドイツ,ベルリン
[没]1999.4.13. ドイツ,ベルリン
東ドイツの政治家。労働者出身。 1931年共産党に入党し,33~45年反ナチス抵抗運動に従事。 47年社会主義統一党経済委員会議長,50年社会主義統一党中央委員,人民議会議員を歴任し,53年党政治局員となった。 52~55年内相。 54年副首相となり,56~60年国防相を兼任した。 63年国家評議会議員,64~73年首相,73~76年国家評議会議長 (国家元首) 。 1970年3月と5月両ドイツの国交正常化のため,W.ブラント西ドイツ首相と会談した。 76年 10月首相に復帰し,89年に総辞職するまでつとめた。同年党より除名。不正蓄財ならびに権力乱用の容疑で逮捕。 90年東西ドイツ統一後,92年1月に東ドイツ時代の「ベルリンの壁」逃亡者の射殺を命令したとして起訴されたが,病気のため裁判の継続が不可能であると判断され審理は中止された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「シュトフ」の解説

シュトフ
Willi Stoph

1914〜  
ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の政治家
1931年ドイツ共産党に入党し,反ナチス抵抗運動に参加。1950年ドイツ統一社会党中央委員。その後,内相・副首相兼国防相をへて,1964年グローテウォール首相の死去後,第2代首相となる。1973年より国家評議会議長(元首)。

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367日誕生日大事典 「シュトフ」の解説

シュトフ

生年月日:1914年7月9日
東ドイツの政治家
1999年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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