ジュリエットグレコ(英語表記)Juliette Gréco

現代外国人名録2016 「ジュリエットグレコ」の解説

ジュリエット グレコ
Juliette Gréco

職業・肩書
シャンソン歌手,女優

国籍
フランス

生年月日
1926年2月7日

出生地
エロー県モンペリエ

学歴
パリ・オペラ座舞踊学校

受賞
エディト・ピアフ賞〔1951年〕「私は日曜日が嫌い」,ACCディスク大賞〔1952年・1964年〕「ロマンス」,ADFディスク大賞〔1965年〕

経歴
生後まもなくパリに移る。母姉がナチス収容所に送られ、15歳で自活。第二次大戦後、パリのサン・ジェルマン・デ・プレの地下酒場に黒髪、黒づくめの服装で現れ、サルトルら実存主義者たちから“実存主義のミューズ”と騒がれたことがきっかけで1949年シャンソン歌手としてデビュー。哀愁を帯びた詩的な歌で人気を集め、世界最高のシャンソン歌手としてヨーロッパ、アメリカ各地を巡業した。また’61年以来何度も来日し、戦後日本のシャンソン・ブームの火つけ役ともなった。代表作に「パリの空の下」、「私は日曜日が嫌い」(’51年)、「ロマンス」(’52年)ほか。’91年1月7年ぶりにパリのオランピア劇場でリサイタルを開く。’94年1月全曲書き下ろしの新作「黒と赤いリボン」を発表。同年4月、’97年1月リサイタルのため来日。’99年5月歌手としては初めてパリのオデオン座に出演、その様子をCD「オデオン1999」としてリリース。2014年友人の歌手ジャック・ブレルの名曲を埋めつくしたアルバム「ジャック・ブレルを歌う」をリリース。映画は1949年「神々の王国」から出演、以来「オルフェ」(’49年)、「恋多き女」(’56年)、「悲しみよこんにちは」(’57年)、「陽はまた昇る」(’57年)、「自由の大地」(’58年)、「将軍たちの夜」(’66年)などに出演。歌詞に重きを置いた知的なシャンソン歌手として、男性のイヴ・モンタンと並び戦後最大のスターの地位を守り続ける。2009年6月、83歳でパリ公演、11月日本公演を行う。2015〜2016年88歳で「メルシー」と題した引退ツアーを行う。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ジュリエットグレコ」の解説

ジュリエット グレコ
Juliette Gréco


1927.2.7 -
フランスのシャンソン歌手。
モンペリエ生まれ。
母と姉がレジスタンス運動でナチスの収容所に送られたために15才で自立し、第二次大戦後、実存主義者のマスコットとして話題になり、「実存主義のミューズ」と呼ばれる。1951年に「私は日曜日が嫌い」をドービル・コンクールで歌いエディット・ピアフ賞を受賞した。’52年には「ロマンス」でディスク大賞を取り、その後もACC,ADFの各ディスク大賞を二度受賞している。また、女優としても「オルフェ」(’49年)、「恋多き女」(’56年)などにも出演している。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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