日本大百科全書(ニッポニカ) 「スチューレ」の意味・わかりやすい解説
スチューレ(Sten Sture den yngre)
すちゅーれ
Sten Sture den yngre
(1492―1520)
スウェーデンの政治家。小ステンとよばれる。1503~1512年にスウェーデンの摂政(せっしょう)であったスバンテ・スチューレSvante Sture(1460―1512)の息子。老ステンとよばれるスチューレとは血縁関係はない。1512年7月父の事故死ののち、摂政に就任した。デンマークに対し強硬な姿勢をとり、大司教トロッレGustav Trolle(1488―1535)および大貴族と激しく対立。1515年トロッレ派との間に内戦が始まり、1517年デンマークとも開戦した。1518年にいったん講和した。1520年初めデンマーク軍の再度の侵攻に際し、オースンデンで迎え撃ったが大敗、戦傷死した。グスタフ1世(グスタフ・バーサ)は彼の妻の甥(おい)である。
[本間晴樹 2022年9月21日]
スチューレ(Sten Sture den äldre)
すちゅーれ
Sten Sture den äldre
(?―1503)
スウェーデンの政治家。老ステンとよばれる。カール8世Karl Ⅷ Knudson(在位1448~1457、1464~1465、1467~1470)の甥(おい)で、協力者。カールの死(1470)後、1471年4月摂政(せっしょう)に推戴(すいたい)され、10月ブルンケベルィでデンマーク軍を撃破。デンマークの宗主権の下でスウェーデンを実質的に支配した。1495年ロシアに遠征。1497年大貴族、聖職者と対立し失脚したが、1501年ふたたび摂政となり、死ぬまで在任した。
[本間晴樹]