スティーブウィンウッド(その他表記)Steve Winwood

現代外国人名録2016 「スティーブウィンウッド」の解説

スティーブ ウィンウッド
Steve Winwood

職業・肩書
ミュージシャン

国籍
英国

生年月日
1948年5月12日

出生地
ウェストミッドランズ州バーミンガム

グループ名
グループ名=スペンサーデービス・グループ〈Spencer Davis Group〉, トラフィック〈Traffic〉, ブラインド・フェイス〈Blind Faith〉

受賞
グラミー賞最優秀レコード賞〔1987年〕「バック・イン・ザ・ハイライフ

経歴
1962年弱冠14歳で兄マフ・ウィンウッドの率いるジャズバンドで活躍。’63年兄とともに結成したスペンサー・デービス・グループにボーカル兼キーボード奏者として参加し、’64年シングル「ディンプルズ」でデビュー。同バンドでは「キープ・オン・ランニング」「ギミ・サム・ラビン」「アイム・ア・マン」などのヒット曲を生み出し、若くしてスターダムにのし上がった。’67年同バンドを脱退してデーブ・メーソンらとトラフィックを結成し、名盤と評価の高い「ミスター・ファンタジー」「トラフィック」を発表。’69年トラフィックの活動を一時中止にしてエリック・クラプトンらのブラインド・フェイスに参加し、ファーストアルバム「スーパージャイアンツ」で英米チャート1位を獲得したが、半年解散。その後、トラフィックの活動を再開し、’70年サードアルバム「ジョン・バレーコン・マスト・ダイ」をリリースした。’74年トラフィックを解散してからはツトム・ヤマシタ率いるゴーやファニア・オールスターズのサルサ・アルバムなどいくつかのプロジェクトに参加したのを経て、’77年アルバム「スティーブ・ウィンウッド」でソロデビュー。’80年のセカンドアルバム「アーク・オブ・ア・ダイバー」は延べ700万枚を売り上げる大ヒットとなり、’87年の「バック・イン・ザ・ハイライフ」は全米5位にランクインし、グラミー賞最優秀レコード賞に選ばれた。’89年初来日。’90年代以降は自身のソロアルバムだけでなく、トラフィック時代の同僚ジム・キャパルディと協力し、’94年トラフィック名義によるアルバム「ファー・フロム・ホーム」をリリース。2004年フジ・ロック・フェスティバル出演のため3度目の来日。同年にはトラフィックとしてロックの殿堂入りを果たした。2011年クラプトンとともに来日してツアーを行った。他のソロアルバムに「トーキング・バック・トゥ・ザ・ナイト」(1982年)、「ロール・ウィズ・イット」(’88年)、「アバウト・タイム」(2003年)、「ナイン・ライブズ」(2008年)などがある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「スティーブウィンウッド」の解説

スティーブ ウィンウッド
Steve Winwood


1948 -
音楽家
バーミンガム生まれ。
15歳の時、スペンサー・デイヴィス・グループに入り、1967年トラフィックを結成する。’69年ブラインド・フェイスに参加し、’70年にはトラフィックを再編する。’75年からツトム・ヤマシタズ・ゴーなどでミュージシャンとセッションする。’80年「ユー・シー・ア・チャンス」がヒットし、2枚目の「アーク・オブ・ア・ダイバー」も大ヒットする。4枚目「バック・イン・ザ・ハイ・ライフ」は日本でも人気となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android