日本大百科全書(ニッポニカ) 「バーミンガム」の意味・わかりやすい解説
バーミンガム
ばーみんがむ
Birmingham
イギリス、イングランド中部、ウエスト・ミッドランズ大都市県の工業都市。人口97万7091(2001)。首都ロンドンに次ぐイギリス第二の大都市。ミッドランズ地方The Midlandsの中心都市でもあり、北西の工業都市ウルバーハンプトンとの間にブラック・カントリー(黒郷)とよばれる一続きの工業集積地域を形成している。発展の原動力は、産業革命期に石炭と鉄鉱石に恵まれたミッドランズ地方(とくにブラック・カントリー)がイギリス有数の製鉄・金属工業地帯として成長したためである。ジェームズ・ワットがマシュー・ボールトンの協力により最初の蒸気機関の製作に成功したのは、1762年バーミンガムにおいてであった。
急速な工業化、都市化に伴ってスラム街が増加し環境悪化が進行したが、事態が劇的に改善されたのは第二次世界大戦後である。すなわち、大戦中、兵器産業があったためドイツ軍の爆撃で破壊されたが、戦後、被害地区を次々に再開発し、古く汚い市街地の大半が一掃された。今日、大企業の事務所が集まるビジネス街、ミッドランズ地方全体を商圏・サービス圏とする中心商店街や卸売市場、劇場、美術館、図書館、大学などが諸官庁とともに都心部を形成する。都心からやや離れた地区に工場地帯が広がり、鉄鋼業は衰えたが、自動車、オートバイ、自転車、電気機械、ガラス、金属、食品などの諸工場が立地する。市の工業発展の跡をたどる資料に富む科学・工業博物館、優れた絵画を収めるセントラル博物・美術館、18世紀建造の聖フィリップ教会などがある。
[久保田武]
歴史
バーミンガムは、市場を有した都市として早くから形を整えていたが、中世から近代初頭にかけては拡大が停滞していた。ところが18世紀後半以降、製鉄・金属・機械工業を主軸に、イギリス産業革命の中心地の一つとして飛躍的な発展を遂げていった。17世紀末に1万5000であった人口が、18世紀末には7万に、20世紀初頭には52万へと急増したことに、その拡大ぶりがよく示されている。18世紀からの工業化を推進したのは、グループ「月の会」Lunar Societyをつくっていたジェームズ・ワット、マシュー・ボールトン、ジョゼフ・プリーストリーなどをはじめとする非国教徒を中心とした知識人たちであった。工業生産に必要な原料や製品の大量輸送は、1772年に開通したバーミンガム運河によって可能となり、さらに19世紀に入ると鉄道もいち早く敷設されて生産力の増大に大きく寄与した。
都市としての急速な拡大の陰で、政治的権利の伸長は遅れ、下院への議員選出権獲得は1832年の第一次選挙法改正を待たなければならなかったが、政治的意識の高い市民は多く、19世紀のイギリスを代表する政治家であるジョン・ブライトやジョゼフ・チェンバレンも、バーミンガムを基盤として政治活動を行った。チェンバレンは1873~76年に市長となり、スラムを一掃するなど近代的都市への改造に貢献した。20世紀に入ってからも、都市計画や一方通行道路の導入など、他の都市に先駆けて実験的試みが行われた。第二次世界大戦で空襲によりかなりの被害を被ったものの、戦後は順調な復興を遂げた。
[木畑洋一]