20世紀日本人名事典 「スミスユージン」の解説
スミス ユージン
Smith Eugene
07の写真家
- 国籍
- アメリカ
- 生年
- 1918年12月30日
- 没年
- 1978年10月15日
- 出生地
- カンザス州ウィチタ
- 本名
- スミス W.ユージン〈Smith William Eugene〉
- 学歴〔年〕
- ノートルダム大学〔’36年〕中退,ニューヨーク・インスティテュート・オブ・フォトグラフィー〔’37年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- USカメラ賞(’51年度)「スペインの村」,米国雑誌協会名誉牌〔’70年〕,ロバート・キャパ賞〔’76年〕
- 経歴
- 「ニューズ・ウイーク」、「ニューヨーク・タイムズ」などを経て、1939年「ライフ」と契約。’43年太平洋戦争に従軍、サイパン、グアム、硫黄島などを転戦、’45年沖縄で取材中に重傷、後送された。後遺症に苦しみながら’48年「田舎医者」、’51年「スペインの村」「助産婦モード・カレン」、’54年「慈悲の人シュバイツァー」などを発表、世界の注目を浴びた。’55年ライフを退社し、マグナムに参加。’56年グッゲンハイム奨学金を得て、大作「ピッツバーグ」に取り組む。’59年「ポピュラー・フォトグラフィ」誌の世界の10大写真家の一人に選ばれる。’71年来日、水俣病を取材、写真展を開いた。’72年五井工場での衝突(五井事件)で目を負傷。’75年妻アイリーンとの共著で写真集「MINAMATA」(英語版)を出版(’79年日本版「水俣」刊行)、水俣公害の恐ろしさをアピールした。’76年アイリーンと離婚、11月帰国。’77年アリゾナ大学教授。同大のセンター・フォー・クリエイティブ・フォトグラフィに全写真が永久保存される。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報