ピッツバーグ(読み)ぴっつばーぐ(英語表記)Pittsburgh

翻訳|Pittsburgh

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピッツバーグ」の意味・わかりやすい解説

ピッツバーグ
ぴっつばーぐ
Pittsburgh

アメリカ合衆国、ペンシルベニア州南西部の、フィラデルフィアに次ぐ同州第二の工業都市。アレゲニー、モノンガエラ両河川がオハイオ川に合流する地点に位置する。人口33万4563(2000)。内陸港を有し、背後に鉄鉱石瀝青(れきせい)炭など豊富な工業資源と水力に恵まれた合衆国を代表する工業都市で、とくに全米シェアの5分の1を占める鉄鋼の町として有名である。第二次世界大戦後に施行された画期的な再開発プログラムや後年のルネサンス・プランによって、それまでの「煤煙(ばいえん)の町」は一掃されて再開発が進み、空気は浄化され、緑豊かな美しい都市に生まれ変わった。新しい工業の進出も目だち、鉄鋼のほかアルミニウム、ガラス圧延機、空気制動機や印刷・出版業などが盛んで、ここに本社を置く企業数としては全米第3位を誇る。また、各企業の工業分析、調査、研究を行う研究所なども多い。

 18世紀初頭に白人が入り、1758年にピット要塞(ようさい)のそばに町が開かれ、河港として、また西部開拓の物資供給地として発達した。1816年市制施行。19世紀初頭には鉄鋼・ガラス工業がおこり、南北戦争直後には鉄鋼業が全米のほぼ2分の1、ガラスが3分の1の生産高を誇った。1889年にカーネギー・スチール社が、1901年にはUSスチール社が創設され、アメリカの鉄鋼の一大中心地として急激な発展をみたが、同時に工場が排出する煤煙から「煙の町」「煤煙の町」とよばれ、1970年から1980年の間に18.5%の人口が減少した。現在は先端技術産業を主力とする町へと変わった。ユニークな教育・文化施設が数多く集積し、教育のかなめとなるピッツバーグ大学をはじめ、デュケイン大学、カーネギー・メロン大学や、バレエオペラ交響楽団本拠を置くハインツ・ホール、カーネギー博物館と美術館、フォート・ピット博物館、動物園や設備の整った美しい公園などが点在する。三河川に囲まれた三角形の中心ビジネス街、ゴールデントライアングルも再開発後は美しく生まれ変わり、1981年にデービッド・L・ローレンス・コンベンション・センターが建てられたのをはじめとし、リバティ・センター、オックスフォード・センターなどのビルが続々と建設された。

[作野和世]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピッツバーグ」の意味・わかりやすい解説

ピッツバーグ
Pittsburgh

アメリカ合衆国,ペンシルバニア州南西部の重工業都市,国内最大級の河港都市。アレゲニー川とモノンガヘーラ川が合流してオハイオ川となるところに位置する。地名はイギリスの政治家ピット (大)にちなんだもの。かつてミシシッピ川水系全域の領有を主張するフランスとの紛争が絶えなかったが,1758年フランスの敗北でイギリス領となる。南北戦争後大量の移民が流入し,1900年には人口 32万人をこえた。付近から鉄鉱石と石炭が発見されたこと,オハイオ川の水運を利用できるなどの好条件に恵まれ,工業化が進展。 1865年 A.カーネギーが製鉄所を開いて以来製鉄が主要工業で,周辺地域を含めてアメリカ合衆国の生産能力の 20%を占める。 81年アメリカ労働総同盟の誕生の地。第2次世界大戦後,ピッツバーグ・ルネサンスと称される強力な都市開発計画によって周辺のアリキッパ,マッキーズポート,ニューケンジントン,ワシントン D.C.,ウィルキンズバーグなどの都市を含めた大工業都市域が形成され,その中心を占める。 1970年代後半から 80年代前半にかけて,国際競争などから鉄鋼業が衰退し,失業者があふれたが,その後各種軽工業や,石油,ガラス,電機,機械,化学などの工業に力を注ぎ,経済停滞からの脱却をはかっている。ピッツバーグ大学,カーネギー研究所,美術博物館,カーネギー音楽ホールなど数多くの文化施設や学術機関のほか,国際空港がある。人口 30万5704(2010)。

ピッツバーグ
Pittsburg

アメリカ合衆国,カンザス州南東部の都市。 1870年に炭鉱の拠点として始ったが,88年までに国内最大級のスズの精錬所になった。石炭産業の衰退によって,市の性格は農業,工業,教育の中心地に変った。ピッツバーグ州立大学 (1903創立) ,アメリカ合衆国統計局の分局がある。人口1万 7775 (1990) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報