ソラーリア
そらーりあ
Solaria
イタリアの文芸雑誌。A・カロッチを主幹として1926年にフィレンツェで創刊。両大戦間のさまざまな文芸思潮がファシズムに吸収されてゆく過程で、心ある文学者たちの最後の牙城(がじょう)としての機能を果たし、36年に廃刊となるまで、ファシズム当局の執拗(しつよう)な監視と弾圧に耐えた。同誌に結集した文学者には、検閲による不当な削除や発禁処分を受けながらも、長編小説『赤いカーネーション』を連載(1933~36)し続けたE・ビットリーニのほか、C・E・ガッダ、E・モンターレ、S・クアジーモドらがいた。なお、同誌に付属して単行本の出版を手がけたソラーリア社から、C・パベーゼの処女詩集『働き疲れて』(1936)など、貴重な作品が世に送り出されたことも忘れてはなるまい。
[鷲平京子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ソラーリア
Solaria
イタリアの月刊文芸雑誌。 1926~34年,フィレンツェで通算 90号を発刊。反ファシズムの詩人や作家たちの拠点となり,両世界大戦間に最後まで良心の火をともし続けた。編集主幹は A.カロッチ,編集補佐に G.フェッラータと A.ボンサンティがあたった。おもな寄稿者に E.モンターレ,G.デベネデッティ,U.サーバ,S.ソルミ,R.バッケッリ,G.コンティーニらがいて,E.ビットリーニの『赤いカーネーション』もこれに連載され,また同誌編集部から出た単行本には,C.パベーゼの処女詩集『働き疲れて』 (1936) もある。
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世界大百科事典(旧版)内のソラーリアの言及
【トスカナ[州]】より
…20世紀に入り,再び時代の脚光を浴びたとき,フィレンツェは新しい文学運動の一大中心地となっていた。両大戦間では,反ファシズムの文学者を多数結集させた《ソラーリアSolaria》誌(1926‐36)の活動が特筆される。そして戦後の[ネオレアリズモ]文学には,代表作家の一人プラトリーニが,フィレンツェに現れた。…
【反ファシズム】より
…そのような状況下で無名の作家[モラビア]の《無関心な人びと》(1929)はファシズム治下のブルジョアの生態を仮借なく描き出したため没収となり,またアルバーロが南部農民の貧困を見すえた《アスプロモンテの人びと》(1930)はネオレアリズモの地方主義の先駆をなした。ゴベッティの雑誌《バレッティ》の後を継ぐ《ソラーリアSolaria》誌に[ビットリーニ]が厳しい検閲をうけつつ《赤いカーネーション》を発表(1933‐36),ビットリーニは同時に[プラトリーニ],ビレンキとともにフィレンツェのファシズム機関誌《バルジェーロ》誌上で初期ファシズムの反ブルジョアの方向を強く主張した。同じころトリノで《働き疲れて》(1936)の詩作と翻訳活動に努めていた[パベーゼ]が逮捕,流刑された。…
【ビットリーニ】より
…1927年に北イタリアへ移住し,会計士として働きながら文学活動を開始。29年から反ファシズム系文芸誌《ソラーリア》の編集に携わり,同誌に短編小説群を発表(1931年に《プチ・ブルジョアジー》の総合タイトルで刊行)。さらに33年からは同誌上に長編小説《赤いカーネーション》(完全版1948)の連載を始めるが,ファシズムの勢力が絶頂を極め大衆がその幻想に酔いしれていた時期に,いち早くファシズムの本質を見抜いてその真の相貌を鋭く描き出したこの小説は,当局の執拗な妨害にあう。…
※「ソラーリア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」