イタリアの小説家、詩人。北イタリアのピエモンテ地方の丘陵地帯に生まれ、ほとんどの学校教育をトリノ市で受けた。高校時代には、グラムシやゴベッティを信奉する教師アウグスト・モンティの影響を受け、反ファシズム思想を培った。トリノ大学ではアメリカ文学論を専攻、卒業論文はホイットマン論。1933年、出版社エイナウディ社の創設に参加、雑誌『クルトゥーラ』に英米文学論を掲載した。これらは死後出版の『アメリカ文学論その他』(1951)に収録されている。他方、メルビル、ジョイス、ドス・パソス、フォークナーら、多数の現代英米文学を翻訳して、ビットリーニ、モンターレ、チェッキらとともに、ファシズム体制下にありながらきたるべき新文学の萌芽(ほうが)を用意した。また『クルトゥーラ』誌の編集長をしていた35年に、反ファシズム活動によって逮捕、イタリア半島の南端にある僻村(へきそん)に流刑された。流刑地で校正にあたった詩集『働き疲れて』(1936)は、43年に決定版として再編成のうえ出版されたが、特異な神話観に支えられたこの「物語・詩」は、20世紀イタリアのもっとも優れた詩集であると同時に、後年のパベーゼの膨大な長・短編小説群の母体ともなった。流刑地での体験は、北イタリアの青年知識人に南イタリアの風土とそこに生きる無名の民衆への共感の目を開かせ、それは叙情的な長編小説『流刑』(1936執筆)に結晶したが、公刊されたのは10年後の『雄鶏(おんどり)の鳴くまえに』(1949)のなかにおいてであった。この作品集には、レジスタンス期の北イタリアにおける知識人の苦悩を描いた長編『丘の上の家』が併録されている。
注目したいのは、最初に発表された長編『故郷』(1941)で、「叙事・叙情」の手法を用いたこの作品は、ビットリーニの『シチリアでの対話』(1941)と並んで、ネオレアリズモ文学の出発点となった。スペイン内戦を背景に、無知な青年の知的成熟を描いた作品には、長編『青春の絆(きずな)』(1947)がある。三部作『美しい夏』『丘の上の悪魔』『女だけの世界』(ともに1949)によってストレーガ賞を受賞。長編『月とかがり火』(1950)を発表した直後の1950年8月に、名声のさなかにありながら、トリノ駅前のホテルの一室で自殺した。短編集『8月の休暇』(1946)と神話詩『異神との対話』(1947)とは、死後に発見された日記『生きるという仕事』(1952)とともに、パベーゼ文学の極点を形成している。また、エイナウディ社に拠(よ)って「民俗学・民俗学叢書(そうしょ)」を刊行するなど、編集者としての優れた手腕、同時代の知識人たちとの交流は、膨大な量の『書簡集』二巻(1966)にうかがわれる。
[河島英昭]
『『チェザレ・パヴェーゼ全集』全17巻(1969~ ・晶文社)』▽『『世界の文学14 パヴェーゼ』(1976・集英社)』▽『S・ソンタグ著、高橋康也他訳『反解釈』(1971・竹内書店新社)』
イタリアの詩人,小説家。北イタリア,ピエモンテ地方の丘のなかの町サント・ステファノ・ベルボに生まれた。幼いころ父の死に伴い同地の別荘を引き払ったため,小学校の低学年を除き,学校教育のすべてをトリノで受けた。高校時代には文学者で反ファシズム思想の持主アウグスト・モンティの影響を強く受けた。大学ではアメリカ文学を専攻し,卒業論文にはホイットマンの詩を選び,1932年にはメルビル《白鯨》の翻訳を発表した。エイナウディ社の創設(1933)に加わり,《クルトゥーラ(文化)》誌上に英米文学論を掲載したが,これはのちに評論集《アメリカ文学論その他》(1951)にまとめられた。ほとんど時を同じくして,当時未知であったアメリカ文学の活力に注目した人物に,E.ビットリーニ,E.モンターレ,そしてE.チェッキがいたが,共同して彼らの編んだ翻訳作品集《アメリカーナ》(1942)が反ファシズム文学に寄与した力は大きい。
親友レオーネ・ギンツブルクの後を引き受けて編集長を務めていた《クルトゥーラ》誌がファシズム当局の弾圧に遭い,パベーゼはカラブリア地方の僻村ブランカレオーネに流刑された。そのころすでに印刷の途中にあった処女詩集《働き疲れて》が1936年に出版された。最初に発表された長編小説《故郷》(1941)は,同じ年に出版されたビットリーニの長編《シチリアでの会話》と並び,ネオレアリズモ文学の出発点となった。第2次大戦末期のレジスタンスの際には,多くの友人たちが武器をとって戦ったのに引き換え,パベーゼはセラルンガの丘にこもって,神話詩《レウコとの対話》を書きついだ。この動乱の時期の悩める知識人の姿は長編《丘の上の家》に描かれ,流刑時代の経験を描いた長編《流刑》とともに,《鶏の鳴く前に》と題され,49年にまとめて出版された。
パベーゼの作品には,詩,短編,長編の別を問わず,一貫して特異な神話観が基調に流れ,平明な文章のうちに複雑な構造を秘め,詩集《働き疲れて》(決定版1943)は現代イタリア詩の主流エルメティズモと鋭く対立してダンテの詩法を受け継ぐものであり,抒情的な美しい文章の短編集《八月の休暇》(1946),長編三部作《美しい夏》(1949),《月とかがり火》(1950)などにも強固な思想が埋めこまれている。そのことは,自殺後に発表された日記《生きるという仕事》(1952)や膨大な《書簡集》(1966)のなかで明らかにされた。また死の直前まで続けられたエイナウディ社の編集活動,とりわけ〈ビオーラ・シリーズ〉(民族・民俗学叢書)が戦後文化の思想的再建に向けて果たした役割も大きい。
執筆者:河島 英昭
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