ソ連承認問題(読み)ソれんしょうにんもんだい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソ連承認問題」の意味・わかりやすい解説

ソ連承認問題
ソれんしょうにんもんだい

1917年ロシアに成立したソビエト政権に対する諸外国の承認問題。ソビエト政権は同年 11月8日に「平和の布告」を発表,すべての交戦諸国 (第1次世界大戦) に講和を呼びかけたが,内戦と干渉戦争に見舞われた。国交は 20年にまず旧帝政ロシア領の諸国,エストニア (1920.2.2.) ,リトアニア (7.12.) ,ラトビア (8.11.) ,フィンランド (10.14.) との間に樹立された。旧帝政ロシア時代の利権を放棄して関係を改善した近隣の発展途上諸国,ペルシアアフガニスタン,オスマン帝国,外モンゴルとの間にも 21年に条約が結ばれた。他方,干渉戦争の失敗が明らかになった 21年には,経済危機に悩む西欧諸国にとって広大なロシア市場は無視できないものとなり,また新経済政策を採択したソ連も外国との貿易を必要としていたので,21年3月 16日に英ソ通商協定が結ばれ,ソ連が旧帝政ロシア時代の債務を部分的に考慮すること,相互に敵対的宣伝を行わないことも取決められた。 22年4~5月のジェノバ経済復興会議にはソ連も参加し,その間の4月 16日に独ソがラパロ条約により国交を樹立。 24年1月成立のイギリス労働党内閣が2月1日にソ連承認を通告すると,イタリア (24.2.7.) ,フランス (10.28.) をはじめヨーロッパ諸国や中国メキシコヘジャズ (現サウジアラビア) などが次々にソ連を承認した。日本は 25年1月 20日の基本条約により国交を樹立し,残るアメリカは,通商関係拡大への期待,日本の極東への軍事進出の不安などから,33年に成立した F.ルーズベルト政権が 11月 16日にソ連を承認した。

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