ターハーフサイン(その他表記)Ṭāhā Ḥusayn

改訂新版 世界大百科事典 「ターハーフサイン」の意味・わかりやすい解説

ターハー・フサイン
Ṭāhā Ḥusayn
生没年:1889-1973

エジプトの誇る碩学で,アミード・アルアダブ(文学の巨柱)の称号を与えられ,作家でもある。エジプト,ミニヤー県のマガーガ村で,父が製糖会社で働く貧しい家庭に生まれた。3歳の時眼炎にかかり,それが原因で失明。9歳にしてコーランを暗記し,やがてアズハルに入った。そのあたりの経緯は彼の自伝的作品《アイヤームal-Ayyām(日々の書)》(邦訳あり)に詳しく語られている。〈アブーアラー回想〉を博士論文に仕上げ,渡仏した。帰国後は当時のエジプトが直面していた新旧両派の思想的対立,教育問題,言文一致運動に自由主義的立場から積極的にかかわった。それによって彼は,アズハルを中心とする旧来の保守的なイスラム学者と対立した。1929年エジプト人として初のエジプト大学(後のカイロ大学)文学部長,後に文部大臣となり,教育の普及に大きな貢献をした。学術論文,小説,文芸評論,啓蒙的意図のもとに書かれた教育・社会評論,さらに翻訳など膨大な著作があり,激動期のエジプトを生きた知識人として大きな足跡を残した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ターハーフサイン」の意味・わかりやすい解説

ターハー・フサイン
Ṭāhā Ḥusain

[生]1889.11.14. マガーガ
[没]1973.10.28. カイロ
エジプトの文学者。3歳で失明。1902年カイロのアズハル大学に入り,さらにエジプト大学 (現カイロ大学) で学んだ。15年フランスに留学。帰国後エジプト大学の教授となり,25年ジャーヒリーヤ時代の詩論で物議を起した。同大学文学部長,文部大臣その他の要職を歴任し,65年ナイル勲章を受けた。自伝的小説『日々』al-Ayyām (1926~29) のほか,『アディーブ』Adīb (35) ,『不幸の樹』Shajarat bu's (44) ,『シャハラザードの夢』Aḥlām Shahrazādなどの小説,多くの評論,論説がある。

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367日誕生日大事典 「ターハーフサイン」の解説

ターハー・フサイン

生年月日:1889年11月14日
エジプトの文学者
1973年没

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