現代外国人名録2016 「ダニエルリベスキンド」の解説
ダニエル リベスキンド
Daniel Libeskind
- 職業・肩書
- 建築家
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1946年
- 出生地
- ポーランド・ウッチ
- 学歴
- クーパー・ユニオン建築学部〔1970年〕卒,エセックス大学大学院〔1972年〕修了
- 受賞
- レオーネ・ディ・ピエトラ賞〔1985年〕,ヒロシマ賞(日本,第5回)〔2001年〕
- 経歴
- ポーランドのユダヤ人家庭に生まれる。イスラエルで音楽を学び、ニューヨークのクーパー・ユニオン、英国のエセックス大学で建築を学ぶ。欧米各地の大学で教鞭を執り、1977〜85年クランブルック芸術学院建築学部長を務めた。’86〜89年イタリア・ミラノにアーキテクチェア・インターマンディウムを設立し所長。’94年カリフォルニア大学ロサンゼルス校建築学部教授。実際の設計に携わることはなかったが、’87年ベルリン国際建築展(IBA)で優勝、ベルリンに移住して初めて建築事務所を開く。この計画はその後ペンディングとなるが、2001年「ユダヤ博物館」としてオープンし、絶賛を浴びる。2003年同時多発テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル跡地の復興指針案コンぺで、グラウンド・ゼロの一部を保存した庭園と新たな高層タワーを建設する案が選ばれる。民族の歴史や都市に根差す問題を斬新な作品によって表現する。主な作品に「マイクロメガス」「チェンバーワークス」など。米国籍だが、ベルリンのクロイツベルク地区にアトリエをかまえる。2002年ヒロシマ賞授賞式と受賞記念展のため来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報