ダルフージー(読み)ダルフージー[はく](英語表記)1st Marquis of Dalhousie, James Andrew Broun-Ramsay

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダルフージー」の意味・わかりやすい解説

ダルフージー(伯)
ダルフージー[はく]
Dalhousie, James (Andrew Broun)Ramsay, 1st Marquess and 10th Earl of

[生]1812.4.22. スコットランド,ダルフージー城
[没]1860.12.19. スコットランド,ダルフージー城
イギリスの政治家。インド総督 (在任 1848~56) 。上下両院議員,商務大臣を経て 1848年インド総督となる。在任中,徹底した領土併合政策をとり,第2次シク戦争パンジャブを併合し (49) ,第2次ビルマ戦争で下ビルマを併合した (53) 。さらに「失権の原則」を適用して統治者の養子相続権を否定し,サタラ,ジャンシ,ナグプールなどを併合し (48~54) ,56年には「善政をしていない」という口実アワドを併合した。一方,鉄道,道路,運河,通信施設などを整備し,イギリス資本のインド市場化を進めた。 56年帰国したが,彼の一連の強行策が翌 57年に勃発したインド大反乱の要因にもなった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダルフージー」の意味・わかりやすい解説

ダルフージー
だるふーじー
1st Marquis of Dalhousie, James Andrew Broun-Ramsay
(1812―1860)

イギリスの貴族、政治家。東インド会社のインド総督(在任1848~1856)。パンジャーブ征服、ジャーンシなどヒンドゥー諸領邦への失権原則(養子による王位継承否認)適用による併合、失政を理由とするアワドの併合によって、インド全域の領有を完成し、中央と地方の政庁機構の拡充強化を行ったほか、鉄道、電信敷設の端緒を開いた。

高畠 稔]

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