シク戦争(読み)シクせんそう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シク戦争」の意味・わかりやすい解説

シク戦争
シクせんそう
Anglo-Sikh Wars

19世紀中頃,インドシク教徒 (→シク教 ) とイギリスとの間に起った2回にわたる戦争。ランジート・シング (1780~1839) により統一されていたシク王国は,洋式化された軍隊を背景にイギリスのシンド併合のあともイギリス軍の領内通過を拒否し,当時のインドで唯一の独立国の地位を保っていた。しかしシング死後,複雑な後継者争いに陥り,全土が分裂状態となった。こうした情勢のもとにイギリスの挑発先手を打ったシク軍の進撃により,第1次シク戦争 (1845~46) が起った。初めイギリス軍は苦戦したが,シク軍の内部不統一や内応により決定的勝利を収めた。この結果,シクはカシミールを失い,首都ラホールにイギリスの駐在官がおかれることとなった。こうして名目的には独立国として存続したが,イギリスの植民地化が進み各種の改革が行われると,住民の不満が爆発し,各地に反乱が起り,反イギリス戦争となった。これが第2次シク戦争 (48~49) である。再びイギリスは苦戦したが,シクの内部の不統一や支配層の裏切りにより再び勝利を収めた。その結果,イギリスはパンジャブの併合を宣言し,ここに全インド征服を完成した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シク戦争」の意味・わかりやすい解説

シク戦争
しくせんそう

イギリス東インド会社軍とシクSikh王国との間で2次(1845~46、1848~49)にわたって戦われた戦争。これに勝利したイギリスはインド植民地化の過程を完了した。シク教徒の勢力は、インド北西部のパンジャーブ地方を中心として、ムガル帝国と激しい抗争を繰り返しながら強大になっていった。19世紀の初め、ランジート・シングRanjīt Singh(1780―1839)が出て、シク諸勢力を統合し、強大なシク王国を形成した。しかし彼の死後、シク王国は分裂的様相を示し始めた。フランスをプラッシーの戦い(1757)で破って以降、インド全域にわたって征服を推し進めてきたイギリスは、この機に乗じて二度の戦争をしかけて、シク王国を最終的に滅ぼした。これによって、インドにはイギリスに敵対する勢力がなくなり、イギリスによるインド植民地化の大枠が完成した。

[小谷汪之]

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