ロシアの作家。ボルガ河畔のシンビルスク市の富裕な穀物商の次男に生まれる。7歳のとき父が他界し、以後元海軍軍人トレグーボフの薫陶を受けて、生家から商人階級の実践性を賦与される一方、この進歩的教養人から貴族階級の理想主義をも継承した。ボルガ対岸の私塾、モスクワ商業学校で学んだあと、1831年モスクワ大学文学部に入学。このころプーシキンに多大の感銘を受けた。34年に卒業して半年間故郷の県知事秘書を務めたあと、翌春ペテルブルグへ赴いて、大蔵省外国貿易局に翻訳官として就職。まもなく画家のマイコフ一家と知己を結び、同家の子供アポロンとバレリアンの家庭教師を務めるかたわら、その文学サロンに出入りして、回覧雑誌に詩や短編を発表した。47年に『平凡物語』で文壇にデビュー。空想家の甥(おい)と実際家の叔父を対置し、前者が後者のような人間へと変貌(へんぼう)してゆく過程を描いたこの長編小説を、ベリンスキーは「ロマン主義打倒の作」と称揚した。1852~55年に遣日使節プチャーチン提督の秘書官として世界周航に加わり、53年(嘉永6)に長崎に来航した。この体験は旅行記『フリゲート艦パルラダ号』(1858)にまとめられ、その日本関係の箇所は明治以来繰り返し邦訳されて、日露関係史研究の貴重な史料となってきた。56年に検閲官に就任し、62年に内務省の機関紙『北方の郵便』の編集長、65年には出版事務総局局員(高級検閲官)となり、67年に四等官の位で退官した。これより前の59年に『オブローモフ』を発表。農奴制批判の意義を指摘されて、作者の名を一躍高からしめる代表作となった。第三の長編『断崖(だんがい)』(1869)は、ニヒリストを戯画化し、また長期にわたる執筆のため構成の不統一をきたして不評を買った。のちに作者は三部作の内的関連を強調し、農奴解放前のロシアの生活の「夢」と「覚醒(かくせい)」の情景を表現したものと述懐している。晩年は評論や回想記にのみ手を染め、なかでもグリボエードフの喜劇『知恵の悲しみ』を論じた『百万の呵責(かしゃく)』(1872)がもっとも優れている。91年に肺炎を発してペテルブルグで他界。わが国では明治期に二葉亭四迷と嵯峨の屋(さがのや)お室(むろ)、大正から昭和初期にかけて山内封介(やまのうちほうすけ)、そののち井上満(みつる)によって紹介された。二葉亭の小説『浮雲』には、文体、思想の両面で『断崖』の影響がうかがわれる。
[澤田和彦]
『井上満訳『平凡物語』全2冊(創元文庫)』▽『井上満訳『断崖』全5冊(岩波文庫)』▽『井上満訳『文芸評論集』(1948・世界文学社)』▽『高野明・島田陽訳『ゴンチャローフ日本渡航記』(1969・雄松堂出版)』
ロシアの小説家。ボルガ河畔のシンビルスク(現,ウリヤノフスク)市の富裕な穀物商の次男に生まれる。モスクワ商業学校退学後,1831年モスクワ大学文学部に入学。このころプーシキンに多大の感銘を受ける。卒業後故郷の県知事秘書となった後,35年に上京して大蔵省外国貿易局に翻訳官として就職。画家のN.マイコフ家と知己になり,子どもの家庭教師を務めるかたわら,その文学サロンに出入りして回覧雑誌に習作を発表した。47年に《平凡物語》で文壇にデビュー。空想家の甥と実務家の叔父を対立させ,前者が後者のごとき人物へと変貌する過程を描いたこの小説を,ベリンスキーは〈ロマンチシズム打倒の作〉と称揚した。52-55年にプチャーチン提督の秘書官として世界周航に参加し,53年(嘉永6)長崎に来航。この旅行体験は《フリゲート艦パルラダ号》(1858,部分訳《日本渡航記》)にまとめられた。56年文部省の検閲官に就任し,62年に内務省の機関紙《北方の郵便》の編集長,65年には出版事務総局局員となり,67年に四等官の位で退官した。この間1859年に小説《オブローモフ》を発表。農奴制批判の意義を指摘されて,作者の名を一躍高からしめる代表作となった。第3の長編《断崖》(1869)は,ニヒリストを戯画化し,また長期の執筆による構成の不統一をきたしたため,不評を被った。後に作者は《平凡物語》《オブローモフ》《断崖》の三部作の内的関連を強調し,農奴解放前のロシア生活の〈夢〉と〈覚醒〉の情景を表現したものと述懐している。晩年は評論や回想記にのみ手を染めたが,そのうちグリボエードフの喜劇《知恵の悲しみ》を論じた《百万の呵責》(1872)が最も優れている。91年に肺炎のため首都で永眠。日本では明治期に主として二葉亭四迷と嵯峨の屋おむろ,大正から昭和初期にかけて山内封介,その後井上満によって紹介された。二葉亭の《浮雲》には文体・思想両面で《断崖》の影響がうかがわれる。
執筆者:沢田 和彦
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(内海孝)
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1812~91
ロシアの作家。官吏生活のかたわら『平凡物語』『オブローモフ』『断崖』の3部作を完成。めざめた地主貴族や知識人の苦悩をリアルに描いた。プチャーチンの使節団に加わり,日本航海記を残した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…19世紀前半には,日本との通商関係を求めた航海者I.F.クルーゼンシテルンの《ナジェジダ号とネバ号による世界周航の旅》(1809‐12),V.M.ゴロブニンの《日本幽囚記》(1816)などロシア側から見た日本研究書が現れた。さらに,日露和親条約(1855)の交渉のために日本を訪れた提督E.V.プチャーチンの秘書官を務めた作家I.A.ゴンチャロフの航海記《フリゲート艦パルラダ号》(1858)も重要文献としてヨーロッパ諸語に翻訳された。 日本との国交樹立後のロシアの日本研究は,ペテルブルグ大学とウラジオストクの東方研究所(1899創設)が中心となった。…
…ロシアの作家ゴンチャロフの旅行記《フリゲート艦パルラダ号Fregat Pallada》(1858)の部分訳。1852‐55年(嘉永5‐安政2)ゴンチャロフは遣日使節プチャーチン提督の秘書官として世界周航に参加し,1853年長崎に来航した。…
※「ゴンチャロフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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