チェルニゴフ

デジタル大辞泉 「チェルニゴフ」の意味・読み・例文・類語

チェルニゴフ(Chernigov/Чернигов)

ウクライナの都市チェルニヒウのロシア語名。

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改訂新版 世界大百科事典 「チェルニゴフ」の意味・わかりやすい解説

チェルニゴフ
Chernigov

ウクライナの同名州の州都。人口29万4677(2005)。デスナ河畔の港湾都市で,軽工業,食料品製造,化学工業,木工業が行われている。その名は907年のキエフ・ロシアとビザンティンとの条約中にキエフに次いで2番目に挙げられており,すでに9世紀には存在していたと思われる。11~13世紀初めにはチェルニゴフ公国の首都で,主教座も置かれていた。1237-40年のモンゴル軍の攻撃により大被害をこうむり,荒廃した。その後リトアニア大公アルギルダスの治世(1345-77)にリトアニア領となり,1377年ウィタウタスにより復興された。1503年モスクワ大公イワン3世によってモスクワ公国内に組み込まれたが,1618年末ポーランドとのデウリノ休戦条約で休戦期間中はポーランド領とされた。67年ポーランドとのアンドルソボ休戦条約で再びロシア領となり,86年の〈恒久平和〉によって追認されることとなった。
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百科事典マイペディア 「チェルニゴフ」の意味・わかりやすい解説

チェルニゴフ

ウクライナ北部,デスナ川右岸の都市。ウクライナ名はチェルニヒフChernihiv。織物製靴家具楽器などの工業が行われる。9世紀には存在していたと思われる古都で,11―13世紀チェルニゴフ公国の中心であった。13世紀にはモンゴル軍の攻撃により荒廃。1503年モスクワ公国領となり,1618年よりポーランド領。1667年以後ロシア領。29万6723人(2012)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チェルニゴフ」の意味・わかりやすい解説

チェルニゴフ

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