改訂新版 世界大百科事典 「チャガタイハーン」の意味・わかりやすい解説
チャガタイ・ハーン
Chaghatai Khān
生没年:?-1242
チンギス・ハーンの第2子で,チャガタイ・ウルス(チャガタイ・ハーン国)の祖。中国史料では察合台。1207-11年に行われたチンギス・ハーンによる一族の分封に際し,バルラース部,ジャラーイル部などに属する4000人(8000人とする説もある)のモンゴル人と,アルタイ地方における所領とを与えられ,チャガタイ・ウルスを創設した。しかしその後も,父に従って,11年の全国遠征,19年以降の西域遠征等に参加して武功を重ねた。おそらくこの西域遠征の後,天山山中のイリ渓谷を中心とする一帯に新たな所領を与えられ,以後はこの渓谷内で夏と冬の定期的季節移動を行う典型的な遊牧生活を続けた。27年チンギス・ハーンが没すると,弟のオゴタイ・ハーンを補佐してその大ハーン位即位に貢献し,その後もオゴタイ・ハーンの権威を尊重して帝国の発展に寄与した。チンギス・ハーンの定めたモンゴルの慣習法(ヤサ)の権威者として知られ,同時に厳正・剛直な人となりをもって聞こえた。
執筆者:間野 英二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報