チャド内戦(読み)チャドないせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チャド内戦」の意味・わかりやすい解説

チャド内戦
チャドないせん

チャド独立以来の南部北部の民族対立に,同国の北に位置するリビアと旧宗主国のフランスを巻き込んだ紛争。 1966年に北部勢力を中心にチャド民族解放戦線 (FROLINAT) が創設され,ゲリラ戦術による武装闘争を開始,リビアがこれに軍事支援を行なったため,劣勢となった中央政府は,防衛協定に基づきフランスに派兵を要請するに至った。 75年のクーデターでトンバルバイエが失脚し,北部勢力を取り込んだ軍事政権が成立した。さらに 78年には FROLINATの主流の一派と提携が成立し連合政府を形成したが,これは弱体で翌年には周辺5ヵ国が調停に乗り出し,カノ協定による南北和平にこぎつけた。ここで北部主導の暫定国民連合政府が生まれたが,FROLINATの内部対立が持ち込まれ,80年には再び内戦状態に陥った。北部の地下資源への権益とも絡んで執拗に介入するリビアは反政府勢力を支援,他方,アメリカが中央政府支援に回り,事態は一層複雑化した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「チャド内戦」の解説

チャド内戦
チャドないせん
Chad civil war

1966年以降,チャド共和国で,北部のアラブ系イスラーム教徒と南部の黒人系キリスト教徒の対立が発展した内乱
チャドは,1960年にフランスから独立したが,政府が南部中心の排外主義的政策をとったため,北部住民がこれに反発,内戦が勃発した。その後,リビアやスーダンエジプトなど周囲の国ぐにも巻き込み,国際的紛争に発展したが,1994年にはリビアとの国境紛争が解決,国内でも民主化が進んでいる。

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世界大百科事典(旧版)内のチャド内戦の言及

【チャド】より

…正式名称=チャド共和国République du Tchad面積=128万4000km2人口(1996)=654万人首都=ヌジャメナN’Djamena(日本との時差=-7時間)主要言語=フランス語,アラビア語,多くの民族語通貨=CFAフランFranc de la Coopération Financière en Afrique Centraleアフリカ大陸の内奥部,ほぼ中央に位置する共和国。北はリビア,東はスーダン,南は中央アフリカ,西はカメルーン,ナイジェリア,ニジェールの各国と国境を接する内陸国である。…

※「チャド内戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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