ディエゴデサンフランシスコ(その他表記)Diego de San Francisco

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ディエゴ・デ・サン・フランシスコ
Diego de San Francisco
生没年:1575ころ-?

スペイン人のフランシスコ会士。1612年(慶長17)来日し,京都で日本語を学ぶ。14年のキリシタン禁令によって長崎へ強制送還されたが,逃亡して京都に戻り,さらに江戸に向かった。15年(元和1)江戸で逮捕されて獄中にあったが,18年フェリペ3世の使節ディエゴ・デ・サンタ・カタリナが来日したさいに釈放され,メキシコに追放された。しかしマニラ経由で再度来日。20年江戸に向かい,7ヵ月滞在ののち長崎に戻った。26年(寛永3)3名を同伴して秋田至り,東北地方に信者訪問のため3年余り滞在した後,大坂に居を定め,32年までいたが,その後の消息は不明。キリスト教信仰に対する江戸幕府弾圧探索が強化される中にあって,最後まで日本の信者のために身をささげた。主たる著書に《日本迫害報告Relación verdadera y breve de la persecución Manila》(1625)がある。
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朝日日本歴史人物事典 の解説

ディエゴ・デ・サン・フランシスコ

生年生没年不詳
スペイン人フランシスコ会士。新カスティリャ地方のメンブリリャ生まれ。ディエゴ・パルド・デ・ラ・メンブリリャとも称した。司祭となって1605年スペインをたち,翌年マニラに到着。慶長17(1612)年,日本に派遣された。同18年の伴天連追放令に際し変装して日本にとどまり,ソテロが建てた江戸の教会堂付属癩病院で活動したが,元和1(1615)年に捕らえられた。牢に投ぜられ1年後,船手奉行向井将監 の斡旋で釈放され,スペイン国王の使節ディエゴ・デ・サンタ・カタリナに随行名目でメキシコに追放された。同4年,遣外管区長としてマニラ経由長崎に渡来し,同6年,江戸に7カ月滞在後長崎に戻った。寛永3(1626)年から3年余り本州北部に布教したのち,同6年大坂に至り,同9年まで滞在した。それ以降の消息は不明。彼の著した『ディエゴ・デ・サン・フランシスコ報告書』(浦川和三郎訳)と『ディエゴ・デ・サン・フランシスコ報告・書簡集』(佐久間正訳)は,キリシタン迫害下での伝道を克明に伝える貴重な史料。<参考文献>T.オイテンブルク著・石井健吾訳『十六~十七世紀の日本におけるフランシスコ会士たち』

(野間一正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説

ディエゴ=デ=サン=フランシスコ Diego de San Francisco

?-? スペインの宣教師
フランシスコ会から派遣され,慶長17年(1612)に来日。20年キリシタン禁令により江戸で逮捕され,メキシコに追放される。元和(げんな)4年ふたたび日本に潜入し,各地で布教活動をおこなうが,消息不明となる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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