日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドンソン遺跡」の意味・わかりやすい解説
ドンソン遺跡
どんそんいせき
Dong-Son
ベトナム北部、タインホアの北にある紀元前3世紀~後1世紀ごろの、青銅器時代ないし初期鉄器時代の遺跡。1924年からフランスのパジョが調査し、豊富な副葬品を伴う埋葬群を発掘した。その資料をV・ゴルーベフ(1879―1945)が研究、報告し、学界の注目を集めた。のちにヤンセが再調査を行っている。青銅器が種類、量ともに豊富で、銅鼓(どうこ)、桶形(おけがた)容器、短剣、靴形銅斧(くつがたどうふ)など独自の様式のものに、中国の戦国時代、前漢、後漢(ごかん)の様式を示す剣、扁壺(へんこ)、鏡、古銭などが伴っている。青銅器以外では鉄剣、玦(けつ)、印文陶(いんもんとう)、縄目文(なわめもん)土器などがある。この遺跡の発見によって、F・ヘーガーが最古の型式に分類していた銅鼓の実年代が明らかになっただけでなく、特異な青銅器群の起源をめぐって東ヨーロッパ起源説対中国起源説の論争が行われた。近年、ベトナム学者の研究によってこの文化に先行する青銅器文化の存在が明らかにされ、ドンソン文化をベトナム独自の発達とする見方が強調されている。
[今村啓爾]