なすな原遺跡(読み)なすなはらいせき

日本歴史地名大系 「なすな原遺跡」の解説

なすな原遺跡
なすなはらいせき

[現在地名]町田市成瀬、横浜市緑区

鶴見つるみ川支流恩田おんだ川右岸の北側に張出す舌状台地上、東急電鉄長津田ながつた車庫一帯が遺跡にあたる。旧石器時代から平安時代にかけての大規模な複合遺跡。車庫建設に伴い、昭和五〇年(一九七五)から同五五年にかけて支谷で画された1―3の三地区、六万五〇〇〇平方メートルの広大な範囲が調査されている。1地区の遺跡は昭和七年に八幡一郎が、地元の歴史家が蒐集した豊富な縄文時代晩期土器の中に亀ヶ岡式土器が含まれていることに注目し、奥羽文化南漸資料を出土するナスナ原遺跡として紹介した地点にあたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む