ニシビス(その他表記)Nisibis

改訂新版 世界大百科事典 「ニシビス」の意味・わかりやすい解説

ニシビス
Nisibis

小アジア南東部の古代都市。現,トルコ領ヌサイビンNusaybin。古くから東西交通の要衝として知られ,ローマとパルティアが争った。5世紀中葉,ネストリウス派がローマ帝国の弾圧により帝国領のエデッサ(現,ウルファ)からペルシア領に逃れ,当地に神学校を開いた。この神学校は,ネストリウス派の学問の中心としてのみならず,イスラム時代には古代ギリシアの学問をアラビア語に翻訳する拠点として栄えたが,12世紀以後は衰退した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニシビス」の意味・わかりやすい解説

ニシビス
Nisibis; Nisibin

小アジア南東部にあった古代の城市。現トルコのヌサイビン。前2世紀頃にはアルメニア王の居城であった。小アジアの山岳道から北部シリアに入る地点に位置し,古くから戦略上および商業,東西交通の要衝であったため,この地をめぐってローマ帝国とパルティア帝国との間にたびたび激戦が繰返された。のちネストリウス派およびヤコブ派の宗教的中心地となり,5世紀にはササン朝ペルシアにより,640年にはアラブによって占領され,カリフ時代には城塞となったが,13世紀のモンゴルの侵攻と内部的騒乱のため衰退した。

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世界大百科事典(旧版)内のニシビスの言及

【ネストリウス派】より

…そのためカルケドン派教会から異端とされた。初期の有能な指導者バル・サウマーは,ローマ帝国の弾圧を逃れて,5世紀中葉にシリアのエデッサからペルシア領ニシビスに達し,ここに神学校を設けて拠点とした。バル・サウマーはペーローズ王の厚遇を得て,ネストリウス派をペルシアにおける支配的キリスト教派となし,ベート・ラパト会議(484)で公式にネストリウス主義が受けいれられることになった。…

※「ニシビス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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