パルティア帝国(読み)パルティアていこく(その他表記)Parthian Empire; Pārt; Pārtiyā

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パルティア帝国」の意味・わかりやすい解説

パルティア帝国
パルティアていこく
Parthian Empire; Pārt; Pārtiyā

古代イランの王国 (前 247~後 224) 。イラン北東部のパルティア地方にいたイラン系遊牧民パルニ族の族長アルサケスが,セレウコス朝から独立して建てた。始祖の名を取ってアルサケス朝ともいわれ,中国の史書では「安息」と記される。初期の都はニサにあったが,その後ヘカトンピロス,クテシフォンにおかれた。前2世紀中頃,西はユーフラテス川から東はインド西部にいたる領域を占めた。西方では政治・経済上重要な意味をもつアルメニアとメソポタミアの争奪をめぐって,ローマ帝国との間に平和と抗争の時代を繰返し,その軽装騎兵の機動力はよくローマの重装歩兵に対抗しえた。しかし北方遊牧民の侵入,国内諸侯の反乱,王室の内紛が相次いで,226年ササン朝の攻撃を受けて滅亡した。この王朝はアケメネス朝の中央集権的統治方式を用いたが,地方では土着諸侯の勢力が強く,地方分権的傾向がみられた。主要財源は領内を通る東西交易物資に課せられた関税にあり,主として銀貨が用いられた。宗教にはミトラ教,ゾロアスター教,キリスト教などがあり,仏教も伝わったと考えられる。文化は前半期には当時都市を中心に浸透していたギリシア文化の影響を受け,多くの王が「ギリシア愛好者」の称号をつけたが,後半期に農耕的イラン人と混合するにつれて,貨幣銘もギリシア文字に代ってアラム文字が用いられるなど全般にイラン的要素が復活し,それはササン朝時代に継承発展された。

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