20世紀日本人名事典 「ノーマンハーバート」の解説
ノーマン ハーバート
Norman Herbert
- 国籍
- カナダ
- 生年
- 1909年9月1日
- 没年
- 1957年4月4日
- 出生地
- 日本・長野県北佐久郡東長倉村(現・軽井沢町)
- 本名
- Norman Edgerton Herbert
- 学歴〔年〕
- トロント大学ビクトリア・カレッジ〔’33年〕卒,ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ〔’35年〕卒,ハーバード大学燕京インスティテュート(日本史・中国史)
- 学位〔年〕
- Ph.D.(ハーバード大学)〔’39年〕
- 経歴
- カナダ合同教会の牧師の子に生まれ、15歳まで日本に滞在。ハーバード大学で日本問題などを研究。1939年カナダ外務省に入省。’40〜41年語学研修官として東京のカナダ公使館に勤務、日本近代史を研究。’41年羽仁五郎の下で研究。太平洋戦争勃発後の’42年帰国し、太平洋問題調査会(IPR)などで活動。’46〜50年駐日カナダ代表部首席。この間、’47〜78年日本アジア協会会長。’50年帰国後、カナダ外務省アメリカ極東局長、情報局長を歴任。’51年サンフランシスコ対日講和会議には首席随員として出席。’53年ニュージーランド駐在高等弁務官、’54年より駐エジプト大使。’57年米国上院におけるマッカーシズム(赤狩り)に抗議して自殺した。著書に「日本における近代国家の成立」(’40年)、「日本における兵士と農民」(’43年)、「忘れられた思想家―安藤昌益のこと」(’49年)、「ハーバート・ノーマン全集」(全4巻 岩波書店)など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報