大学事典 の解説
ハレ・ヴィッテンベルク大学[ドイツ]
ハレ・ヴィッテンベルクだいがく
旧東ドイツのザクセン・アンハルト州にある州立総合大学。正式名称はマルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク(ドイツ)。1933年から大学にゆかりがあるルターの生誕450年にちなんでこの名称が使われるようになった。所在地はハレ(ハレ・アン・デア・ザーレ)。ヴィッテンベルク大学(ドイツ)(ザクセン選帝侯フリードリヒ3世により1502年に設立)と,ハレ大学(ドイツ)(ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世[のちの初代プロイセン国王フリードリヒ1世]により1694年に設立)を母体とする。両大学とも19世紀初頭ナポレオン軍の占領によりいったん閉鎖を余儀なくされたが,1817年に合体して新たな大学として再出発した。
ヴィッテンベルク大学は,1517年に宗教改革の烽火をあげたマルティン・ルター,M.(1483-1546)が神学部教授であったことで有名である。人文主義者で,ルターのプロテスタント神学を体系化したメランヒトン, Ph.(1497-1560)も同大学で教鞭をとった。ハレ大学はのちのベルリン大学(現,ベルリン・フンボルト大学)の創設に先立ち,近代大学の端緒を開いたと言われている。同大学の教授であった啓蒙主義者クリスティアン・ヴォルフ, Ch.(1679-1754)は,哲学を神学から切り離し,ラテン語ではなくドイツ語で講義した学者として知られている。現在,教授336人,学生1万9319人,うち外国人1655人(2016年10月現在)。
著者: 木戸裕
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報