ハーカーニー(読み)はーかーにー(その他表記)Afzal al-Dīn Badīl Khāqānī

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハーカーニー」の意味・わかりやすい解説

ハーカーニー
はーかーにー
Afzal al-Dīn Badīl Khāqānī
(1121―1199)

ペルシア詩人。カスピ海南西岸シルワーンに生まれる。宮廷詩人アブル・アラーに師事したのち、シルワーンシャー朝に宮廷詩人として仕えた。アゼルバイジャン派代表詩人として知られ、頌詩(しょうし)に優れたが、晩年は不遇で、1184年タブリーズに赴き、同地で没した。代表作は頌詩、叙情詩を主体とした約2万句からなる『ハーカーニー詩集』と、1156年のメッカ巡礼から帰って制作した叙事詩『二つのイラクの贈物』。彼の作品は難解さで定評があり、卓越した想像力、絶妙な比喩(ひゆ)を特色とする。ペルシア文学史上、東のアンワリーと並び称せられる二大頌詩詩人の1人である。

[黒柳恒男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーカーニー」の意味・わかりやすい解説

ハーカーニー
Khāqānī, Afḍal al-Dīn Badīl

[生]1121. シルバン
[没]1199. タブリーズ
ペルシアの頌詩詩人。父はイスラム教徒,母はキリスト教徒。バクーのシルバン・シャー朝の君主に仕えた宮廷詩人で,のちにメッカ巡礼に出た。帰国後保護者の寵を失い投獄され,釈放後はタブリーズに行き,そこで晩年を過した。代表作『2つのイラクの贈り物』 Tuḥfat al-`Irāqayn,『獄中詩』 Ḥabsīya。頌詩,抒情詩などから成る『ハーカーニー詩集』 Dīwān-e Khāqānīがある。博学で諸学を駆使したため,作品は難解である。

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世界大百科事典(旧版)内のハーカーニーの言及

【アゼルバイジャン】より

…ヨーロッパ南東のザカフカス地方南東部と,イラン北西部のカスピ海に面する地方の総称。旧ソ連領の部分はアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国であったが,1991年8月アゼルバイジャン共和国として独立した。イラン領の部分は東・西の二つのアゼルバイジャン州に分かれている。
[自然]
 アゼルバイジャン共和国は,北に大カフカス山脈を背負うが,秋田県とほぼ同緯度に位置し,地形・気候とも,さほど複雑ではない。大カフカス山脈の南東斜面は高山性,亜高山性の牧地で森林も深く,この山脈は東部に行くに従って低い丘陵に変わり,アプシェロン半島となってカスピ海に没する。…

【ペルシア文学】より

… 10世紀以来ペルシア詩人の活躍地域は保護者たる王朝の版図の関係上,中央アジアからイラン東部に限られていたが,11世紀後半からセルジューク朝の勢力拡大に伴い,ペルシア詩人の活動地域もしだいにイラン全域に広がり,とくにカスピ海西方地域アゼルバイジャン地方では,12世紀後半にホラーサーン派詩人と覇を競う優れた詩人たちが輩出し,アゼルバイジャン派詩人と呼ばれ,〈古典ホラーサーン・スタイル〉を脱して新しい〈イラク・スタイル〉を生み,ペルシア詩の発展に多大の貢献をした。同派の代表的な詩人は頌詩詩人ハーカーニーKhāqānīと,ロマンス叙事詩人ニザーミーで,とくに後者はロマンス叙事詩を完成させた最高詩人で,代表作として《ハムセ(五部作)》と呼ばれる長編ロマンス詩を作詩した。 12世紀半ばから頌詩,叙事詩とともにペルシア詩の主流を占めるようになったのは神秘主義詩(スーフィー詩)である。…

※「ハーカーニー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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