ハーベマン(読み)はーべまん(英語表記)Robert Havemann

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハーベマン」の意味・わかりやすい解説

ハーベマン
はーべまん
Robert Havemann
(1910―1982)

ドイツの物理化学者。ミュンヘン生まれ。1932年共産党へ入党し、第二次世界大戦中の1943年、反ナチ抵抗運動の指導者として死刑判決を受け、大戦終了とともにブランデンブルク刑務所から救出された。1946~1964年東ベルリンのフンボルト大学教授を務め、この間東ドイツ人民議会議員にも選出された(1950~1963)。1959年東ドイツの国家功労賞を受けたが、党および東ドイツの政治体制に対する批判的な言説のため、1964年党およびフンボルト大学教授職から、また1966年東ドイツ科学アカデミーから追放された。しかしその後も「社会主義的民主主義」の道を求める積極的な発言を続けた。『明日――岐路に立つ産業社会――批判と現実のユートピア』Morgen, Die Industriegesellschaft am Scheideweg, Kritik und reale Utopie(1980)は彼の遺著である。論稿として、ほかに「ドグマなき弁証法」Dialektik ohne Dogma(1964)および自伝『質問、回答、質問』Fragen, Antworten, Fragen(1970)がある。

[深谷満雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーベマン」の意味・わかりやすい解説

ハーベマン
Havemann, Robert

[生]1910.3.11. ミュンヘン
[没]1982.4.9. グルーネハイデ
東ドイツの化学者。 1932年共産党加入。反ナチス運動のため 43年に逮捕され,死刑を宣告された。 45年収容所から救出され,西ベルリンカイザー=ウィルヘルム協会化学研究所所長に就任したが,48年アメリカの核兵器政策に反対して解任され,東ベルリンのフンボルト大学教授に就任。東ドイツの科学アカデミー会員,物理化学研究所所長となった。 I.スターリン批判後東ドイツの体制を強く批判,秘密警察による各種の迫害を受けた。 70年に『質問,回答,質問』 Fragen,Antworten,Fragenを西ドイツで発表。

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