改訂新版 世界大百科事典 「バッハ一族」の意味・わかりやすい解説
バッハ一族 (バッハいちぞく)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハを最大の成員とするドイツの音楽家一族。中部ドイツを中心に代々音楽を職とし,16世紀末から19世紀前半まで80人以上の音楽家を輩出して,歴史上最大の音楽家家系を形成した。最初は身分の低い芸人Spielmannから出発したが,やがて町楽師Stadtpfeifer,教会のオルガン奏者やカントルKantor,宮廷の楽師や楽長,また大都市の音楽監督へと社会的に台頭し,質・量ともにドイツの音楽生活を担う存在となった。多くのバッハ一族が活躍したエルフルト市では,18世紀末になっても,〈バッハ〉の名が町楽師一般の代名詞として用いられたほどである。世襲的な音楽職人の伝統と敬虔なルター派信仰に支えられたこの一族の流れは18世紀前半のJ.S.バッハ(24)(〈バッハ一族〉系図参照)にいたって未曾有の大河となるが,その後は急速に枯渇して,音楽的には19世紀前半をもって絶え果てた。
J.S.バッハが起草した家系譜によれば,一族の始祖ファイト(1)はチューリンゲン地方のウェヒマル村(ゴータ近傍)でパン屋を営み,水車小屋で粉をひきながらリュートを奏したという。以後,バッハ一族はエルフルト,アルンシュタット,アイゼナハなどチューリンゲン地方の市町を中心に活躍するが,18世紀に入ると,ザクセン地方のワイマールやライプチヒ(J.S. バッハ),プロイセン王国のベルリンや北ドイツの自治都市ハンブルク(C.P.E.バッハ(46)),イタリアやロンドン(J.C.バッハ(50))へと活動の場が拡散していった。これは中部ドイツの政治的後進性と深くかかわり合い,古い共同体意識や世襲的音楽職人制度の解体,それに代わって登場した市民的音楽生活の発展と並行する現象であった。バッハ一族のうち,J.S.バッハ以前のとくに重要な作曲家には,ヨハン(4)(エルフルト),ハインリヒ(6)(アルンシュタット),ヨハン・クリストフ(13)(アイゼナハ),ヨハン・ミヒャエル(14)(ゲーレン。エルフルト付近),ヨハン・ルートウィヒ(60)(マイニンゲン),ヨハン・ベルンハルト(18)(アイゼナハ)らがいる。
執筆者:角倉 一朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報