ザリエル朝3代目のドイツ国王・神聖ローマ皇帝(在位1056~1106)。父ハインリヒ3世の死後6歳で王位につき、最初は母后アグネスAgnes(1025―1077)が摂政(せっしょう)として国政をとった。親政開始後、ザクセン経営を推進したが、これに不満をもったザクセン貴族層は、オットー・フォン・ノルトハイムOtto von Nordheim(?―1083)の指導下に反乱を起こした。反乱鎮圧後、ミラノ大司教の叙任問題が発端となり、教皇グレゴリウス7世との間に聖職叙任権闘争が起こり、1076年教皇から破門を受けた。そのため国内貴族層の離反を招き、ハインリヒは翌1077年ひそかにイタリアに赴き、カノッサ城外で教皇に懺悔(ざんげ)して赦免されたが(カノッサ事件)、反国王派貴族はシュワーベン大公ルードルフRudolf von Rheinfelden(在位1077~1080)を対立国王に選び、ドイツ国内は国王支持派と反国王=教皇支持派に分かれて内乱状態に陥った。戦局はハインリヒ側の優位に推移したが、1105年、息子(ハインリヒ5世)に背かれ、リューティッヒ(リエージュ)に逃れて再起を図るうちに死亡した。
[平城照介 2017年12月12日]
ホーエンシュタウフェン朝第3代のドイツ国王・神聖ローマ皇帝(在位1190~97)。父王フリードリヒ1世のイタリア政策の一環として、1186年シチリア王女コンスタンツェと結婚。これがのちに重大な政治的結果を生むこととなる。フリードリヒの十字軍遠征の留守を預かり、国政をゆだねられたが、90年フリードリヒの死によって正式に国王となった。コンスタンツェの父ロジェール(ルッジェーロ)2世の死後、シチリアの王位を継いでいたその弟ウィレム2世が、89年子供を残さずに死んだので、ハインリヒの妻コンスタンツェに相続権が生まれたが、シチリア人はウィレムのいとこタンクレードを国王に選び、さしあたりハインリヒ側の主張は通らなかったが、94年タンクレードの死を機会に、シチリア征服を敢行、パレルモでシチリアの王位についた。その成果にたって、ドイツとシチリアを一体とした世襲帝国の樹立を企てたが、ローマ教皇やドイツ諸侯の反対にあって挫折(ざせつ)した。十字軍従軍の準備中、メッシーナでマラリアのため急死。このため、ホーエンシュタウフェン朝の権力は崩壊の危機にさらされることになる。
[平城照介]
ザクセン朝初代のドイツ国王(在位919~936)。捕鳥王の異名がある。リウドルフィング家のザクセン大公オットーの子として生まれ、912年、父の死後大公位を継ぎ、勢力の拡大に努めた。フランケン出身の初代のドイツ国王コンラート1世は、ハインリヒを後継者に指名して死んだので、フランケンおよびザクセンの豪族は、フリッツラーで彼を国王に選出したが、シュワーベン大公エーベルハルト、バイエルン大公アルヌルフはこれを承認せず、後者が対立国王に選ばれた。ハインリヒは領内の教会支配権を大公に認めるなどの譲歩によって両大公と妥協を図り、全国的にその王位を承認されることに成功した。対外的には、911年以降西フランク王国に併合されていたロートリンゲンを奪回し、繰り返しドイツに侵入していたマジャール人をリアデ付近で打ち破り、エルベ川以東のスラブ人にも征服の手を伸ばし、東部国境地帯に城塞(じょうさい)網を設置して防御を固め、対内的には、教会支配権をふたたび大公から取り戻し、大公に対する王権の強化に努めるなど、ザクセン朝の支配権を確固としたものにするのに大きく貢献した。
[平城照介]
ウェルフ家のザクセン大公(在位1139~80)兼バイエルン大公(在位1156~80)。父ハインリヒ傲慢(ごうまん)公もザクセン、バイエルンの大公を兼ねたが、国王コンラート3世と対立して、両大公領を失った。ハインリヒ獅子(しし)公は1142年、まずザクセン大公領の領有のみを認められた。その後国王フリードリヒ1世と和解が成立、オストマルクを切り離すことを条件に、56年バイエルンの大公位も承認された。ザクセンを中心に強力な領域的支配圏を樹立しようと努め、リューベックを再建してバルト海貿易の中心地としたほか、都市建設、司教座新設を推進し、また対ウェンド人十字軍を組織して、エルベ川以東のドイツ植民運動の端緒をつくった。その勢力拡大政策は国王フリードリヒ1世との対立をもたらし、国王のイタリア遠征中、獅子公が援軍の要請を拒絶したことで両者の関係は決定的に悪化した。ザクセン貴族層の訴えによる国王の法廷召喚に応じなかったため反逆罪に問われ、80年、ゲルンハウゼンの帝国会議で、諸侯から帝国追放と全所領没収の判決を下された。
[平城照介]
ザリエル朝最後のドイツ国王・神聖ローマ皇帝(在位1106~25)。1105年、聖職叙任権闘争における反国王派の貴族と結んで父王ハインリヒ4世に反乱を起こし、翌年の父の死後正式に国王に選ばれた。だが彼もザリエル家伝統の王権強化政策を踏襲したため、ふたたび国内諸侯と対立することになった。また父王に背いてまで実現しようとした目標、すなわち聖職叙任権闘争を終結させることも、国王側、教皇側がそれぞれの主張を譲らなかったため、幾度もの交渉にもかかわらずはかばかしい進展をみせなかった。その間、1115年ベルフェスホルツの戦いで諸侯側に敗れ、また国王支持の立場をとっていた聖界諸侯も王権から離反し始めたので、ハインリヒは聖職叙任権闘争終結のための交渉を諸侯の手にゆだねた。その結果1122年ウォルムス協約が結ばれ、叙任権をめぐる教権と俗権との紛争にいちおうの終止符が打たれた。だがこの闘争期に聖・俗の諸侯はそれぞれの領域的支配権を強化し、ドイツ国内の封建化の傾向は決定的に進んだ。
[平城照介]
ザリエル朝第2代のドイツ国王・神聖ローマ皇帝(在位1039~56)。父コンラート2世の死後王位を継いだが、フランケン、シュワーベン、バイエルン、ケルンテンの各大公権力を一手に掌握し、中世ドイツを通じて最強の支配者であった。リウティッツ人、ポーランド人、ベーメン人、ハンガリー人に対し、ドイツ国王の封建的宗主権を広げ、ゴスラーに壮大な王宮を建ててザクセン経営の拠点とし、また教会改革運動を支援し、「神の平和」運動をドイツに導入して国内平和を推進した。1046年にはローマ遠征を行い、鼎立(ていりつ)していた3人の教皇を一挙に廃位、ドイツ人クレメンス2世を教皇の座につけ、教皇権の革新にも力を貸した。だが国内においては、ロートリンゲン大公ゴットフリートの反乱などが起こり、聖職叙任権闘争期の貴族反乱の兆しも生まれた。
[平城照介]
ザクセン朝最後のドイツ国王(在位1002~24)。オットー3世が子供を残さず夭逝(ようせい)したため、又従兄(またいとこ)でバイエルン大公のハインリヒが王位を継いだ。「ローマ帝国の復興」を夢みたオットー3世のユートピア的政策に対し、ハインリヒはふたたびドイツに根を下ろしたじみな政策に立ち返り、国内諸侯の独立化を抑え、王権の強化に努めた。対外的には、ポーランドの大公ボレスラフ・クロブリイの拡大政策に対抗し、異教徒のリウティツ人と同盟してマイセン辺境伯領の喪失を防ぎ、対内的には、バンベルク司教座を新設して、新しい文化的・宗教的中心をつくりだしたほか、ゴルツェ修道院に指導される教会改革運動を援助し、教会を王権の支柱とするザクセン朝の帝国教会政策をいっそう推進した。
[平城照介]
ルクセンブルク家のドイツ国王・神聖ローマ皇帝(在位1308~13)。ハプスブルク家のアルプレヒト1世の死後、王弟シャルルを推すフランス王フィリップ4世に対抗し、ケルン、トリールの大司教らの援助で国王に選ばれた。1310年弟のヨハンをボヘミアの王位につけ、ルクセンブルク家が東方に勢力を伸ばす端緒をつくった。同年、皇帝戴冠(たいかん)のためイタリア遠征を行ったが、グェルフ派とギベリン派との抗争に巻き込まれ、ナポリ王ロベールもハインリヒに対抗して戴冠場所である聖ペテロ教会を占拠したので、12年ラテランで枢機卿(すうききょう)の手から帝冠を受けた。シチリア王と結んでナポリを討とうとしたが、途中マラリアにかかって急死した。
[平城照介]
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12世紀後半に活躍したドイツの詩人。生没年不詳。マーストリヒト(現,オランダ領)近郊フェルデケの出身でローン公の従士であった。彼の主要作品である《エネイーデ》は,フランスの《エネアース物語》の翻案で,愛(ミンネ)を主題としており,これによって彼はドイツの新しい宮廷叙事詩の創始者,かつドイツ語の詩形の確立者となった。中部ライン語のほか高地ドイツ語にも通じ,処女作は聖徒物語《セルウァティウス》(1170ころ)で,トルバドゥール風の抒情詩も残している。
執筆者:古賀 允洋
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…1138年から1254年まで,事実上連続してドイツ国王位につく。その間,フリードリヒ1世,ハインリヒ6世,フリードリヒ2世という3世代の英主は,いわゆる神聖ローマ皇帝としてヨーロッパ的覇権の樹立を目ざす。彼らの努力は結局挫折に終わるが,シュタウフェン諸帝の活躍は中世的皇帝権に最後の輝きを添えたものと評価されている。…
※「ハインリヒ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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