バリード(その他表記)barīd

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バリード」の意味・わかりやすい解説

バリード
barīd

イスラム国家の駅逓・通信制度。最初はビザンチン帝国およびササン朝ペルシア帝国の駅逓制度の模倣であったが,ウマイヤ朝のカリフ,アブドゥル・マリクがその組織化を行なった。アッバース朝時代に入って国家の中央集権化が進むと,バリードは地方総督の動向や物価・財政状態を中央政府に報告する情報収集機関としての役割も果すようになった。駅舎は,イランでは2ファルサフ (12km) ,イラクやエジプトでは4ファルサフ (24km) おきにおかれるのが普通であり,馬,ろば,らくだ,それに危急の場合にははとが用いられた。 10世紀以降になると,マムルーク朝を除いてこの制度が次第にくずれはじめ,セルジューク朝やアイユーブ朝では必要に応じて飛脚,早らくだ,あるいははとが使用された。

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世界大百科事典(旧版)内のバリードの言及

【アッバース朝】より

… 地方政治では軍事権と財政権とは分離して,総督アミールと税務長官のアーミルとが,カリフまたはワジールによって任命され,司法を担当するカーディーはカリフによって任命された。また中央政府と地方政府との間の文書の伝達は駅逓制度(駅伝制=バリード)によって行われ,それは同時に地方官を監視し,地方行政の実情を中央政府に通報する情報網の役割も果たした。税制ではウマイヤ朝末期に確立された,土地が税を支払うという法的擬制をイスラム法として合法化する一方,課税そのものは税務調査をもとに,現金納の土地測量制か,現物納の産額比率制で行われた。…

【駅伝制】より

…帝国の分裂,西ローマ帝国の滅亡後,中世のヨーロッパ世界にはローマ帝国時代にみられた規模の駅伝制を生むことはなかった。【長谷川 博隆】
[イスラム社会]
 イスラム社会の駅伝制はバリードbarīdと呼ばれる。ウマイヤ朝の初代カリフ,ムアーウィヤ1世(在位661‐680)がササン朝ペルシアやビザンティン帝国の駅伝制を踏襲し,第2次内乱(683‐692)を平定した第5代カリフ,アブド・アルマリク(在位685‐705)はこれを組織化して帝国統治のかなめとした。…

※「バリード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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