イギリスの映画製作者。バーミンガム生まれ。戦前・戦後を通じてハリウッドとは一線を画したイギリスならではの映画製作の伝統の確立を目ざした。1924年、グレアム・カッツGraham Cutts(1885―1958)とゲインズボロ・ピクチャーズを設立し、アルフレッド・ヒッチコックの『下宿人』(1926)などを手がける。1931年、ゴーモン・ブリティッシュ映画社の製作部長となり、ジェシー・マシューズJessie Matthews(1907―1981)主演のミュージカル、ロバート・フラハティの『アラン』(1934)、ヒッチコックの『暗殺者の家』(1934)、『三十九夜』(1935)などの名作を世に送り出す。1938年、イーリング撮影所の製作部長となり、第二次世界大戦中から戦後にかけて「英国らしさ」をうたった良質の作品群を次々と製作、なかでも『ピムリコへの旅券』(1949)、『優しい心と宝冠』(1949)、『白服の男』(1951)、『マダムと泥棒』(1955)といったいわゆる「イーリング・コメディ」を開花させる。その後は映画製作会社ブライアンストンの会長などを務めた。
[宮本高晴]
…この中でのサルトルの精密で膨大な分析によって一種の〈空白状態〉に陥り,〈物を書くことができなくなった〉ジュネは,54年,《女中たち》の再演に際して書いた〈ジャン・ジャック・ポーベールあての手紙〉で語っているように,演劇によって作家としての再生を果たすことができた。《女中たち》と相前後して書かれたと思われる《死刑囚の監視》(1949)を除けば,三大戯曲《バルコン》(初稿1956,改稿1960,上演用台本1962),《黒ん坊たち》(1958),《屛風》(1961)はいずれもこの時期以降のものである。 小説が,〈こそ泥〉であり〈受動的男色家〉であったジュネの,異常な体験に基づく異形な美のいわば〈反・世界〉の構築であったのに対し,戯曲は,そのような〈反・世界〉を成立させている〈幻惑者〉と〈被幻惑者〉の劇の〈関係構造〉そのものを,社会の深層をつき動かす個人的・集団的〈幻想〉の劇へとつなげたものであった。…
※「バルコン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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