山川 世界史小辞典 改訂新版 「バルト三国独立回復」の解説
バルト三国独立回復(バルトさんごくどくりつかいふく)
ロシア支配下にあったバルト三国は,1918年のロシア革命後の混乱をきっかけに,リトアニア,ラトヴィアが独立,20年にはエストニアが独立を果たした。しかし,対ソ戦争の勃発により,ソ連は軍を進駐,占拠し,40年に再びソ連への編入を余儀なくされた。しかし,ペレストロイカの進行に伴い,88年に三国で人民戦線が結成されるなど反体制運動が活発になり,89年には三国の首都を市民が手を結んでつなぐ「人間の鎖」などの抗議行動が行われた。90年にリトアニアが主権回復を宣言すると,エストニア,ラトヴィアがそれに続いた。しかし,連邦国家を維持したいソ連は三国の独立を拒否。両者の対立は膠着し,リトアニアでは91年,ソ連の戦車部隊がテレビ局を襲撃,これを阻む市民らが死傷した流血事件まで勃発した。この事件に対してロシア国内でも非難が高まり,ロシアの最高会議議長であったエリツィンは91年三国の独立を承認した。93年にリトアニアから,94年にエストニア,ラトヴィアからのロシア軍完全撤退で,残留軍問題は解決したが,エストニア,ラトヴィアでは,ロシア語系住民問題,また三国共通の問題として,EU加盟問題などが残っている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報