バレンズエラ(読み)ばれんずえら(英語表記)Fernando Anguamea Valenzuela

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バレンズエラ」の意味・わかりやすい解説

バレンズエラ
ばれんずえら
Fernando Anguamea Valenzuela
(1960― )

アメリカのプロ野球選手(左投左打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のロサンゼルス・ドジャースカリフォルニア・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)、ボルティモア・オリオールズフィラデルフィア・フィリーズサンディエゴ・パドレスセントルイス・カージナルス投手としてプレー。独特のフォームからスクリュー・ボールを投げ込んでセンセーショナルに登場し、「フェルナンド・マニア」とよばれる熱狂的なファンを生み出した左腕投手である。

 11月1日、メキシコナボホアで生まれる。1978年からメキシカン・リーグで投げていたが、契約を買い取られる形で79年、ドジャース入団。1980年のシーズン終盤に大リーグに初昇格した。ストライキで前、後期制となった1981年は開幕からローテーション投手として起用され、13勝7敗、防御率2.48の好成績をあげ、奪三振180でタイトルを獲得。ワールド・シリーズでも1勝をあげ、チームのワールド・シリーズ優勝に貢献した。この活躍で熱狂的なファンを得るとともに、サイ・ヤング賞(最優秀投手賞のこと)と新人王を同時受賞した。以降、1987年まで2桁(けた)勝利を続け、86年には21勝で最多勝も獲得した。1988年は故障で5勝に終わったが、89年から2年連続2桁勝利と復活。とくに、1990年にはノーヒットノーランも達成した。1991年のキャンプ中に解雇され、エンゼルスへ移籍。しかし1勝もできず、翌92年はメキシカン・リーグで1年間を過ごした。1993年にオリオールズで大リーグへ復帰したが、94年はメキシカン・リーグで投げ、シーズン終盤には大リーグのフィリーズで1勝をあげた。1995年にパドレス入りすると、96年には13勝をマーク。1997年は2勝8敗でシーズン途中にカージナルスへトレードされ、シーズンオフに現役を退いた。

 17年間の通算成績は、登板試合453、投球回2930、173勝153敗、防御率3.54、奪三振2074、完投113、完封31。獲得したおもなタイトルは、新人王、最多勝利1回、最多奪三振1回、サイ・ヤング賞1回、ゴールドグラブ賞1回。

[山下 健]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バレンズエラ」の意味・わかりやすい解説

バレンズエラ
Valenzuela, Fernando

[生]1960.11.1. エチョウワキーラ
メキシコのプロ野球選手。フルネーム Fernando Valenzuela Anguamea。アメリカ合衆国の大リーグで 17シーズンにわたり,投手として活躍した。メキシコのプロリーグでプレーしていた 1977年,ロサンゼルス・ドジャーズのスカウトに見出された。1981年ドジャーズの開幕戦に登板し,ヒューストン・アストロズを完封。ストライキにより試合数が少なくなるなか,13勝7敗の好成績でシーズンを締めくくった。完投 11,完封 8,投球回数 192イニング,奪三振 180はいずれもナショナルリーグ首位となり,リーグ新人王とサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)の同時受賞という大リーグ史上初の快挙を達成。アメリカのラテンコミュニティーと母国メキシコで一躍スターとなった。現役時代の通算成績は 173勝153敗。1986年には自己最多の 21勝を上げ,リーグ最多の 20完投を記録した。ドジャーズで 11年間プレーしたのち,ボルティモア・オリオールズ,フィラデルフィア・フィリーズなどに移籍。サンディエゴ・パドレス在籍中の 1996年,アメリカとカナダ以外の国では初の大リーグ公式戦としてメキシコのモンテレイで開催されたニューヨーク・メッツ戦に先発し,勝利投手となった。1997年に大リーグを引退後,数シーズンにわたりメキシコでプレーを続けた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android