パイシー(その他表記)Paisij Hilendarski

改訂新版 世界大百科事典 「パイシー」の意味・わかりやすい解説

パイシー
Paisij Hilendarski
生没年:1722-98

ブルガリア修道士没年については1773年との説もある。1745年ギリシアのアトス山ヒランダル修道院で修道士になったが,400年近くオスマン・トルコ支配下にあったブルガリア人民族自覚を促すため,忘れ去られた自国の歴史の編纂を志し,古い史料収集著述に専念した。その手稿本《スラブブルガリア史》(1762執筆)は広く手写されて,18~19世紀のブルガリア民族復興期の思想的指針となった。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「パイシー」の解説

パイシー
Paisij Hilendarski

1722~73

ブルガリアの修道士。1745年ギリシアのアトスのヒランダル修道院で修道士となる。オスマン帝国内やヴォイヴォディナのスレムスキ・カルロヴツィ府主教座などを旅し史料の収集に努め,62年『スラヴ・ブルガリア史』を教会スラヴ語で著す。内容は史実に則していない部分も多いが,序文では当時商業言語,教会言語であったギリシア語への傾倒を批判し,民族語や民族の歴史を学ぶことを強調。同書の写本は60部を超え,19世紀のブルガリア民族再生運動の先駆けとされる。

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世界大百科事典(旧版)内のパイシーの言及

【ブルガリア】より

… しかし,17世紀に入ってオスマンの支配機構が変質し,イルティザーム制と呼ばれる徴税請負制度が導入され,西欧の産業革命や国際貿易の進展に呼応して綿花や小麦,タバコなどの商品作物の生産を目的とするチフトリキ制と呼ばれる私的大土地所有制が成立すると,農民は収奪にさらされ,義賊ハイドゥティ(ハイドゥク)の抵抗運動が活発になった。
[民族復興と独立運動]
 それとともに,ブルガリア人もこれらの制度によって手工業や商業に携わって徐々に力を蓄えてくると民族的自覚が徐々に高まり,1762年,修道士パイシーは《スラブ・ブルガリア史》を著して民族覚醒の口火を切った。独立運動は,政治的支配者のトルコ人と,トルコ人官僚と結びついて通商や教会を支配していたギリシア人に対する,両面で行われた。…

※「パイシー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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