パトリス・ルムンバ

共同通信ニュース用語解説 「パトリス・ルムンバ」の解説

パトリス・ルムンバ(1925~61)

コンゴ(旧ザイール)民主運動の指導者で、アフリカ自立や反帝国主義を主張。60年、ベルギーからの独立に伴う総選挙で、自陣営が勝利し、首相に就任した。しかし内戦状態の中で、ベルギーや米国寄りの勢力が支配し分離独立を宣言したカタンガ州に拉致され、殺害された。ルムンバ遺族は2011年、殺害に関与したとみられるベルギーの当時の政府、軍関係者10人を戦争犯罪などで同国司法当局に告訴した。(ブリュッセル共同)

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20世紀西洋人名事典 「パトリス・ルムンバ」の解説

パトリス ルムンバ
Patrice Lumumba


1925.7.2.(1916.説もあり) - 1961.2.12
ザイールの政治家
元・コンゴ共和国首相。
カサイ州生まれ。
バテテラ族出身。ミッション・スクールに学び、スタンリービル(現キサンガニ)の郵便局員などを経て政界入り。1957年レオポルドビル(現キンシャサ)へ移り、’58年コンゴ民族運動(MNC)の創設に参加。第1回全アフリカ人民会議に出席したほか、’59年にはコンゴの即時解放を叫び、煽動罪により一時投獄される。’60年独立とともにコンゴ共和国(現ザイール)の初代首相。コンゴ動乱の際、カサブブ大統領と激しく対立、解任された後は国連軍の保護下にあったが、政府軍に逮捕、暗殺される。著書に「コンゴ、未来の国―汝は脅威なりや」(’61年)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「パトリス・ルムンバ」の解説

パトリス ルムンバ

生年月日:1925年7月2日
ザイールの政治家,民族運動指導者
1961年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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