ルムンバ(読み)るむんば(英語表記)Patrice Lumumba

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルムンバ」の意味・わかりやすい解説

ルムンバ
るむんば
Patrice Lumumba
(1925―1961)

ベルギー領コンゴ(現、コンゴ民主共和国)出身の政治家。7月2日カサイ州に生まれる。ミッションスクールで教育を受けたのち、スタンリービル(現、キサンガニ)で郵便局員となり、労働運動を通じて頭角を現した。その後政界に転じて民族主義運動の有力な指導者となり、1958年にはコンゴ国民運動(MNC:Mouvement National Congolais)の創設に参画。同年末にガーナで開かれた第1回全アフリカ人民会議に参加し、エンクルマらの影響を受けて、政治的にいっそう先鋭化した。1959年にはコンゴの即時独立を主張し、扇動罪で一時投獄されたが、1960年1月、独立のための円卓会議にコンゴ代表として参加し、同年5月の選挙ではMNCを勝利に導いて、6月のコンゴ共和国(のちザイール共和国。現、コンゴ民主共和国)の独立とともに初代首相に就任した。しかし、直後に起こったコンゴ動乱渦中で、カタンガ州の分離独立問題への対応をめぐって大統領カサブブと激しく対立し、9月に首相を解任された。その後国連軍の保護下にあったが、レオポルドビル(現、キンシャサ)を脱出してルムンバ派の本拠地スタンリービルへ向かう途中12月にカサイ州で政府軍に逮捕された。さらに1961年1月に身柄をカタンガ州へ移送されて殺害されたが、真相は明らかでない。

[小田英郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルムンバ」の意味・わかりやすい解説

ルムンバ
Lumumba, Patrice

[生]1925.7.2. オナリア
[没]1961.1. カタンガ
コンゴ民主共和国の政治家,民族運動指導者。フルネーム Patrice Hemery Lumumba。ミッション・スクールで中等教育を受けたのち郵便局などで働きながら政治運動に参加。1958年10月にコンゴ国民運動 MNCを結成。同 1958年12月にガーナのアクラで開かれた全アフリカ人民会議 AAPCに出席,他の諸地域の民族主義者の刺激を受けてから急進化し,即時独立の主張を打ち出した。1959年11月にはベルギー領コンゴの即時解放のための実力行使を唱えて逮捕されたがまもなく釈放され,1960年1月の独立交渉に参加,中心的役割を果たした。1960年5月コンゴ初の総選挙で MNCは第一党となり,翌6月の独立と同時に初代首相に就任。民族主義的な中央集権的社会主義国家を目指し,連邦主義の名のもとに部族主義的地方分権を主張するジョゼフ・カサブブ大統領と対立。1960年9月にはカサブブがルムンバを,ルムンバがカサブブを,互いに解任するという事態が発生した。さらに同 9月ジョゼフ・モブツ大佐のクーデターが起こり,12月ルムンバは根拠地スタンレービル(→キサンガニ)に逃れる途中,モブツの兵に捕えられ,コンゴ動乱のさなかに殺害された。主著『祖国は明日ほほえむ』Le Congo-terre d'avenir-est-il menacé?(1961)。

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