パラオの激戦

共同通信ニュース用語解説 「パラオの激戦」の解説

パラオの激戦

1944年9月、日本軍の飛行場があったペリリュー島アンガウル島米軍上陸。約2カ月半の激戦の末、ペリリュー島で日本軍守備隊約1万人がほぼ全滅。生き残った34人はその後も約2年半にわたり、密林洞窟に潜伏してゲリラ戦を続けた。アンガウル島でも約1200人が死亡するなど、パラオ全体での戦死者は約1万6千人、米軍も2千人近くに上った。住民は別の島に疎開していた。日本は戦前コロール島南洋群島を統治する行政機関南洋庁を設置。一時は2万人以上の日本人が暮らしたが、街は大規模空襲で壊滅した。

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