ヒュセインザーデアリー(その他表記)Hüseynzāde Alī

改訂新版 世界大百科事典 「ヒュセインザーデアリー」の意味・わかりやすい解説

ヒュセインザーデ・アリー
Hüseynzāde Alī
生没年:1876-1941

オスマン帝国におけるパントルコ主義の思想家運動家。グルジアの首都ティフリス(現,トビリシ)のアゼリーアゼルバイジャン人)の家庭に生まれる。バクーペテルブルグイスタンブール医学を修め,イスタンブールの陸軍軍医学校教授となる。1904年にバクーに戻り,そこで民族運動に加わりパン・トルコ主義的傾向をおびた多数の新聞雑誌を編集した。10年に再びトルコに移り,いわゆる〈青年トルコ〉中央委員としてパン・トルコ主義の宣伝活動に従事した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒュセインザーデアリー」の意味・わかりやすい解説

ヒュセインザーデ・アリー
Hüseyinzâde Alî

[生]1864. アゼルバイジャン
[没]1941
トルコの思想家,医者。トビリシで初等教育を受け,1895年イスタンブールの軍医学校卒業。「青年トルコ」運動 (→青年トルコ革命 ) の最初のメンバーの一人であり,1903年カフカスへ亡命し,新聞,雑誌を創刊してトルコ民族啓蒙に努めた。 08年の革命ののち,イスタンブールに戻り,26~33年イスタンブール大学教授。第1次世界大戦中はアゼルバイジャンの独立運動にも尽力した。

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20世紀西洋人名事典 「ヒュセインザーデアリー」の解説

ヒュセインザーデ・アリー
Hüseynzāde Alī


1876 - 1941
トルコの思想家,活動家
元・陸軍軍医学校教授。
グルジアの首都ティフリス生まれ。
アゼルバイジャン人の家庭に生まれ、バクー、イスタンブールで医学を修め,イスタンブールの陸軍軍医学校教授となる。1904年にバクーに戻り、民族運動に参加、新聞、雑誌を編集した。’10年にトルコに戻り、青年トルコ中央委員としてパン・トルコ主義の活動を行った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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