フランスの服飾デザイナー。両親の希望で株の売買を志したが、1937年念願のクチュール店を開店。40年代には、その芸術的才能により、パリ・クチュール界のアンファン・テリブル(恐るべき子供)といわれた。第二次世界大戦後、アメリカの企業家と契約し、サイズ別の既製服を大量生産した最初のクチュリエ(仕立屋)となる。華麗で人々を喜ばせる服作りを得意とし、とくにエレガントでセクシーな夜のドレスには定評があった。42歳の若さで白血病で没したのち、店は夫人のジュヌビエーブにより57年まで継続された。テント・コート、マニッシュ・ルック、Sカーブ・ラインなどが有名である。
[深井晃子]
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...