ファフル・ウッディーン2世(読み)ファフル・ウッディーンにせい(その他表記)Fakhr al-Dīn II

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ファフル・ウッディーン2世
ファフル・ウッディーンにせい
Fakhr al-Dīn II

[生]1572頃
[没]1635. イスタンブール
西アジア,レバノンドゥルーズマアン家君主 (在位 1593~1635) 。キリスト教マロン派と協力してレバノンの実権掌握。ベイルート港を改修して西欧の文物輸入の窓口とし,イタリアのトスカナ公フェルディナンドと秘密軍事同盟を結んだが,トルコ政府の攻撃を受けてイタリアに亡命 (1613~18) 。 1624年再びトルコ政府からレバノン地方の君主として認められ,イタリアから農工業の技術者を招いて国力の充実に努めた。その勢力がシリアからパレスチナに及ぶにいたってトルコ政府の反感を買い,攻撃され (33) ,捕えられて (34) ,処刑された。

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