東方キリスト教の一宗派で,レバノンを中心とする東方典礼カトリック教会。アラビア語ではマールーニーMārūnī。5世紀にオロンテス河谷で独特のキリスト論(二つの性質・一つの意志)をもつキリスト単意論者の集団として成立したが,十字軍時代にローマ・カトリックに帰属し,18世紀に正式に東方典礼カトリック教会となった。独自の典礼をもち,礼拝用語はアラビア語と一部シリア語で,〈アンティオキア総大主教〉と称する首長をいただく。7世紀以降レバノン山地に拠り,そこでの多数派として自主性を確保したが,マムルーク朝下では抑圧の時代を経験した。19世紀前半,同山地南部に拡大し,ドルーズ派との宗派紛争が激発し,1860年のフランスの軍事干渉により列強の介入を招いた。組織規約(1864),第1次世界大戦後のフランス委任統治,国民協約(1943)等を通じて樹立されたレバノン政治体制の宗派別編成のもとで,マロン派は人口の30%を占める最大宗派とされ,独立後も大統領・軍司令官等の要職をおさえた。この優越的地位に対して,ムスリムの不満と批判が高まるとともに,マロン派住民の間では,アラブ民族主義やシリア民族主義に対する反発とレバノン民族主義(しばしばフェニキア主義として示される)への傾向とが強まった。1958年および75年以降の内戦をピークとするレバノンの政治対立の中で,マロン派はカターイブ(ファランジスト),自由国民党,自由レバノン等の運動の主要な社会的基盤を提供した。
執筆者:板垣 雄三
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…まもなくコンスタンティノープルの陥落によってビザンティン教会がオスマン帝国の支配下に入ったため,合同工作は不可能となった。しかしローマ教会は,ネストリウス派教会,また単性論派教会に属するアルメニア教会,キリスト単意論を採用していたレバノンのマロン派教会などとの合同工作を進めた。最低限の条件は,各教会にその典礼と慣行との保持を認めるかわりに,異端の教説を捨て,ローマ教皇の首位権を認めさせることにあった。…
…それに対し,カルケドン公会議の前後にキリスト論に関する見解の相違から分離した教会,具体的にはネストリウス派および単性論派教会を一括して〈東方諸教会〉と呼ぶ。そのなかにはのちにキリスト単意論を受けいれたマロン派教会もふくまれる。なおアリウス派はもちろん非カルケドン派教会ではあるが,東方諸教会にはふくめない。…
… 19世紀の前半に,一時エジプトのムハンマド・アリー朝の支配を受けたが,その頃になると新しい転機が熟する。山間部の名望家(アーヤーン)の間で政治的統合をめぐる抗争がひろがり,その対立も北部のマロン派キリスト教名望家と南部のドルーズ派イスラムの名望家との二極化への傾向を,それぞれ内部に緊張をはらみながらも,示すようになった。 やがて指導力を握ったドルーズ派の名望家シハーブShihāb家のバシール2世がマロン派キリスト教に改宗することで,ひとつの決着がもたらされた。…
※「マロン派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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