フアン・カルロス(読み)ふあんかるろす(英語表記)Juan Carlos Ⅰ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フアン・カルロス」の意味・わかりやすい解説

フアン・カルロス(1世)
ふあんかるろす
Juan Carlos Ⅰ
(1938― )

スペイン国王(在位1975~2014)。1931年に革命王位を追われたアルフォンソ13世の孫。亡命先のローマで生まれる。1962年にギリシア王女ソフィアと結婚。1969年にフランコ統領により王位継承者に指名され、1975年11月のフランコの死去とともに即位した。即位後はこれまでの独裁制から立憲君主制へのスムーズな移行を図り、一部軍人の策謀を抑えて体制自由化を実現し国民の信頼をかちえた。1980年(昭和55)と2008年(平成20)に来日した。2014年6月に退位し、同月、フェリペFelipe6世(1968― )が即位した。

[平瀬徹也 2015年10月20日]

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20世紀西洋人名事典 「フアン・カルロス」の解説

ファン・カルロス
Juan Carlos


1938.1.5 -
スペイン国籍。
スペイン国王。
ローマ生まれ。
サラゴサ陸軍士官学校卒,海軍兵学校卒,マドリード大学卒。
亡命先のローマで生まれる。1957年陸軍小尉、’58年海軍小尉。’62年ギリシア王女ソフィアと結婚。’69年フランコ統領により王位継承者に指名された。’75年フランコの死去とともに国王に即位。即位後はこれまでの独裁制から新憲法を発布し、立憲君主制への移行を図り、体制自由化を実現した。’80年来日。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「フアン・カルロス」の意味・わかりやすい解説

フアン・カルロス[1世]【フアンカルロス】

スペイン国王(在位1975―2014)。ローマ生れ。ブルボン家のアルフォンソ13世の孫。1975年11月,フランコの死により新王政の国王として即位,民主制移行に尽力して成功させた。
→関連項目スペイン

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旺文社世界史事典 三訂版 「フアン・カルロス」の解説

ファン=カルロス(1世)
Juan Carlos Ⅰ

1938〜  
スペイン国王
アルフォンソ13世の孫。1948年の協定にもとづいて,スペインのフランコの下で教育を受け,75年フランコの死去に伴って即位。スペイン−ブルボン朝が復活した。1978年には新憲法が成立して民主化が進んだ。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のフアン・カルロスの言及

【スペイン】より

…労働運動・学生運動とともに,ETAのテロ活動が公然化し,全国に非常事態宣言が発令された。フアン・カルロス王子(アルフォンソ13世の孫)がフランコの後継者に指名され,国会で宣誓。70年にはブルゴスにある軍事裁判所でETAのテロリストに死刑の判決が下ったが,内外の恩赦を求める声の高まりによって禁固30年に減刑された。…

【フランコ】より

…66年の出版法ではかなり言論を自由化し,同年フランコは行政改革を行い,国民投票で国家組織法が67年に発効した。69年7月22日フランコは国会で,自分の後継者でスペイン新王政の国王としてフアン・カルロス・デ・ブルボンを迎えると表明した。しかし73年12月20日フランコの側近で首相のカレロ・ブランコが暗殺されると,フランコ体制の矛盾が露呈し始めた。…

※「フアン・カルロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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