アルフォンソ[13世]
Alfonso ⅩⅢ
生没年:1886-1941
スペイン王。在位1886-1931年。父アルフォンソ12世の死後生まれ,誕生当日に即位,母后マリア・クリスティナが摂政となった。1898年,スペインは米西戦争に敗れ,キューバとフィリピンを失った。1902年16歳の誕生日を期して親政時代に入り,06年イギリスのビクトリア女王のめいビクトリア・エウヘニア王女と結婚。挙式当日,マドリード市街で襲撃事件を経験した。その後も,社会主義者やアナルコサンディカリストの労働運動,モロッコ戦争などに悩まされる。1920年代の経済危機と,激化するカタルニャ,バスクの民族主義運動,モロッコでのスペイン軍の敗北などの政治危機を前に,収拾策を持たない国王は,23年のプリモ・デ・リベラ将軍の独裁(-1930)を承認した。マドリード大学都市を創設するなど,国王の政策は文化的隆盛には寄与するものが多かったが,他方,政治への介入や女性関係,とくに21年のモロッコでの敗北によって国民の不満が高まった。このような状況のなか,31年の地方選挙で大都市の共和主義者が大勝し,国王は王権の行使を一時停止するという形で,退位することなくフランスに亡命,スペインは第二共和国となった。国王はローマで客死する2週間前,息子のフアンに譲位したが,75年に孫のフアン・カルロスが即位するまで,スペインが王政に戻ることはなかった。
執筆者:宮川 智恵子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アルフォンソ13世
アルフォンソじゅうさんせい
Alfonso XIII, Léon Fernando Maria Isidro Pascual Antonio
[生]1886.5.17. マドリード
[没]1941.2.28. ローマ
スペイン王 (在位 1886~1931) 。アルフォンソ 12世の子。父の死後6ヵ月目に生れ,ただちに即位。 1902年 16歳の誕生日に親政を開始するまで,母のマリア・クリスティナが摂政となる。摂政時代には,保守党の A.カノバス・デル・カスティリョと自由党の P.サガスタの内閣交代制がアルフォンソ 12世時代に引続いてとられた。この二大政党による議会政治は見せかけのもので国民的基礎をもたなかったので,政治的な動揺が内外に拡大してきた。 20世紀に入ると労働運動,共和革命運動,カタルニャの自治運動,反政府運動,モロッコの反乱などが相次いだが,アルフォンソ 13世は適切な打開策をもたなかった。第1次世界大戦には局外中立を保持し,スペイン産業に好景気が訪れたが,21年には恐慌が起り労働運動は激化した。 23年9月 13日 M.プリモ・デ・リベラのクーデターにより,軍事的独裁政権が成立し (30) ,これを認めた。 31年共和革命政府成立,民衆の要求により国王退位を迫られ,フランスに亡命 (31.4.14.) ,さらにイタリアにおもむいた。 41年1月 15日,息子のドン・フアンに王位継承権を譲った。 F.フランコは 39年4月 24日の法により,王をスペイン市民としてもとの地位に復させたが,アルフォンソは帰国せずローマで没した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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アルフォンソ13世
Alfonso ⅩⅢ
1886 - 1941
スペイン国籍。
元・スペイン国王。
父アルフォンソ12世の死後誕生し、その日に即位、母后マリア・クリスティナが摂政となった。16才より親政時代となるが、キューバ、フィリピンを失い、米西戦争の敗北の頃で、経済危機や労働運動が激化していた。’23年にプリモ・デ・リベラのクーデターが王政を救ったが、’30年に独裁制が倒れ、’31年に共和国が成立すると、国王は退位することなく王権の一時停止という形でフランスに亡命した。’75年に孫の現国王が即位し、スペインに王政が戻った。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
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アルフォンソ13世(アルフォンソじゅうさんせい)
Alfonso ⅩⅢ
1886~1941(在位1886~1931)
スペイン王。父の死で誕生時に即位。1902年以降親政。治世下,モロッコ問題,スト激増などの社会不安要因を抱え,23年プリモ・デ・リベラ軍事独裁を容認し復古王政の議会主義体制を終わらせた。31年共和派台頭により亡命。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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アルフォンソ13世
生年月日:1886年5月17日
スペイン王(在位1886〜1931)
1941年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のアルフォンソ13世の言及
【スペイン】より
…そのため,労働者階級による騒乱の要因はつねに存在し,以後,経済危機や政治不安の際には必ず表面化した。
[公式のスペインと現実のスペイン]
王政復古を意図した保守派の政治家が支援を受けて,まず1874年1月2日に,パビア将軍(1827‐95)がマドリードで蜂起し,同年12月,サグントでマルティネス・カンポスArsenio Martínez Campos将軍(1831‐1900)のクーデタが勃発したため,第一共和国は直ちに倒れ,その結果,[アルフォンソ12世](在位1874‐85)が新国王となり,王政が復活した。そして,74年以降の王政復古期の舵は保守派の領袖[カノバス・デル・カスティリョ]の掌中に握られた。…
※「アルフォンソ13世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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