改訂新版 世界大百科事典 「ファンドゥースブルフ」の意味・わかりやすい解説
ファン・ドゥースブルフ
Theo van Doesburg
生没年:1883-1931
オランダの抽象画家。本名Christiaan Emil Marie Küpper。ユトレヒト生れ。芸術運動〈デ・ステイル〉をモンドリアンらとおこす。俳優から画家に転じ,さらに文学,音楽,建築に多彩な才能を示す。〈新造形主義〉の絵画作品のほか,建築ではローゼンベルク邸案,ベルリンのウンター・デン・リンデン街改造計画(ともに1923)などを建築家ファン・エーステレンCornelis van Eesterenと発表,また機関誌《デ・ステイル》にはボンセットの筆名でダダ詩を,カミーニの名で評論を載せる。1925年〈要素主義〉を唱え(その実例がレストラン〈オーベット〉の改装(1926,ストラスブール。H. アルプ夫妻と共作)),モンドリアンの去った後は理論・実践とも彼が〈デ・ステイル〉の指導者となる。ダボスで没し,翌年同派も活動を停止した。
執筆者:山口 廣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報