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オランダの画家モンドリアンが1912~17年にキュビスムの徹底的な追求によって到達した造形理論。いっさいの再現的、偶然的、恣意(しい)的な要素を絵画から追放し、水平、垂直の2線分と、三原色および無彩色の配合によって生命力の根源を暗示する秩序と均衡ある構成を生もうとするものである。その理論の背景には神智(しんち)学および新プラトン主義的思考があるとされる。1917年モンドリアンはこの理論をもとにドースブルフらと「デ・ステイル」の運動を推進した。その単純明快な構成原理は、抽象絵画のみならず建築、デザインなどの分野にも大きな影響を与えた。20年彼はパリで『新造形主義』と題する冊子を出版した。
[野村太郎]
…20世紀初めオランダに興った抽象美術運動。ファン・ドゥースブルフはモンドリアンの絵画と造形思想に共鳴し,彼とともに〈新造形主義Neoplasticisme〉を成立させ,この思想を広めるために雑誌の発行(1917‐28)を中心とした新しい造形運動をライデンで起こした。〈デ・ステイル〉(オランダ語で〈様式〉)はこの雑誌の題で,やがて運動の名称ともなった。…
…俳優から画家に転じ,さらに文学,音楽,建築に多彩な才能を示す。〈新造形主義〉の絵画作品のほか,建築ではローゼンベルク邸案,ベルリンのウンター・デン・リンデン街改造計画(ともに1923)などを建築家ファン・エーステレンCornelis van Eesterenと発表,また機関誌《デ・ステイル》にはボンセットの筆名でダダ詩を,カミーニの名で評論を載せる。1925年〈要素主義〉を唱え(その実例がレストラン〈オーベット〉の改装(1926,ストラスブール。…
…ロンドンを経て,40年にニューヨークへ渡り,この線分にリズム感を付け加えた《ブロードウェー・ブギウギ》(1943)のような晩年の代表作を残した。彼の造形思想〈新造形主義Neoplasticisme〉は20年代以降《デ・ステイル》誌や著書《新しい造型》(1925)などを通じて,絵画はもちろん,現代の建築やデザインの世界にも大きな影響を与えた。抽象芸術【宮島 久雄】。…
※「新造形主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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