フリエス(読み)ふりえす(その他表記)Othon Friesz

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フリエス」の意味・わかりやすい解説

フリエス
ふりえす
Othon Friesz
(1879―1949)

フランスの画家ル・アーブル生まれ。生地の美術学校でリュイリエCharles-Marie Lhuillier(1824―1898)の教えを受ける。同校にはデュフィやブラックらも学んでおり、デュフィと親交を結ぶ。1897年、奨学金を得てパリに出、エコール・デ・ボザールのボナLéon Bonnat(1833―1922)のアトリエで学ぶが、しだいに印象派や後期印象派の影響を受けるようになる。また、マチスらのグループとの接触を強めてゆき、1905年までに輝かしい色彩のスタイルを展開してフォービスムの画家の一員となる。フォービスムのグループは基本的には三つのグループから成り立っていたが、フリエスはデュフィ、ブラックとともにいわばル・アーブル・グループを形成していた。以後、短期間、風景画を中心に解放された色彩を用いてアール・ヌーボー風のアラベスクを展開するが、1908年ごろ新たな古典的伝統に復帰し、以後、比較的保守的な手法で作品を描き続けた。パリに没。

[大森達次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フリエス」の意味・わかりやすい解説

フリエス
Friesz, Henri Achille Émile Othon

[生]1879.2.6. ルアーブル
[没]1949.1.10. パリ
フランスの画家。ルアーブル美術学校で学んだのち,パリに出て美術学校でマチス,A.マルケと知合い,1905年以降フォービスムの作家として活躍。知的な構成にフォービスムの鮮烈な色彩を結びつけた作風であったが,10年頃からは冷静な色調の思索的な作品を描いた。主要作品は『春』 (1909,パリ市立美術館) ,『水浴』 (48,パリ国立近代美術館) など。デュフィとともに,シャイヨー宮に大壁画をかいた。

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