日本大百科全書(ニッポニカ) 「デュフィ」の意味・わかりやすい解説
デュフィ
でゅふぃ
Raoul Dufy
(1877―1953)
フランスの画家。6月3日、ル・アーブルの音楽を愛好する家庭に生まれる。音楽はのちに彼の絵の重要な主題となる。14歳からコーヒー輸入商の下で働き家計を助けるが、かたわら同市美術学校の夜間コースに学ぶ。1900年、市の奨学金を得てパリに出、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)のレオン・ボナのアトリエに入る。初めマネ、モネ、ピサロなど印象派の影響を受け、またロートレックの鋭い線にも関心を示した。05年、アンデパンダン展に展示されたマチスの『豪奢(ごうしゃ)・静寂・逸楽』との出会いは、デュフィに決定的な影響を与えた。彼は色彩のもつ表現力に目覚め、フォーブの一員となる。その後、07年のセザンヌ回顧展や、翌年のレスタックでのブラックとの制作を機に、作品には構成的傾向が現れるようになったが、09年ごろから、優美さとユーモアを備えた明るい装飾的画風に転じていく。本の挿絵を手がけてからは装飾美術にも関心を抱き、11年には服飾デザイナー、ポール・ポワレの助力を得て織物のデザインを始めるなど、この分野にも積極的に手を染めた。20年にはコクトーの台本、ミヨーの音楽によるバレエ『屋根の上の牡牛(おうし)』の舞台装置を担当している。
このように装飾家としても大きな貢献をする一方、1919年の大作『バンス』とともに彼の絵は成熟した独自のスタイルを確立するに至る。純粋な色彩の広がりの上に生き生きとした線描が重ねられ、機知に富んだ楽しげな雰囲気が醸し出される。選ばれる主題も競馬やヨットレースなど快活なものが多く、動きのある諸要素が静穏な空間と対比される。また、音楽に対する深い愛好は「オーケストラ」シリーズなど、音楽を題材とした数多くの作品を生んだ。37年のパリ万国博覧会に際しては、電気館のために大壁画を制作。晩年には一種の厳しさを獲得し、本来の陽気さが新たな強さと調和を保つようにもなった。死の前年の52年、ベネチア・ビエンナーレで国際大賞を受賞。また、生涯を通じて水彩画・版画にも積極的に取り組み、簡潔さと生気とユーモアを備えた多くの作品を残している。53年3月23日南仏フォルカルキエで没。
[大森達次]
『A・ヴェルナー著、小倉忠夫訳『デュフィ』(1972・美術出版社)』