フロンテナク(その他表記)Louis de Buade, comte de Frontenac

改訂新版 世界大百科事典 「フロンテナク」の意味・わかりやすい解説

フロンテナク
Louis de Buade, comte de Frontenac
生没年:1622?-98

フランスの軍人。北アメリカ大陸のニューフランス植民地総督(1672-82,89-98)。1635年軍隊に入り,ヨーロッパ各地を歴戦ののち,72年からその死まで,7年間の中断をはさんでニューフランスの総督を務めた。けんか早く活動的な人物であったらしいが,彼の統治下にニューフランスは次々と砦を建設してインディアンやイギリス軍との対決に備え,版図を固めた。後年ニューフランスがたび重なるイギリス軍の侵攻に18世紀中葉までもちこたえたのは,フロンテナクの功績とされる。L.ジョリエ,J.マルケット,R.C.deラ・サールらは彼の後援の下に広範な探検活動を行った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フロンテナク」の意味・わかりやすい解説

フロンテナク
Frontenac (et Palluau), Comte de; Louis de Buade

[生]1622.5.22. サンジェルマンアンレ
[没]1698.11.28. ケベック
フランスの軍人,植民地行政官。ニューフランス地方長官 (在任 1672~82,89~98) 。 1635年軍隊に入り,外地勤務を続けたのち,72年ニューフランス地方長官に任命された。気性が激しく,任地の役人たちと衝突したため1度は解任されたが,その卓越した軍事的統率力を買われて再度赴任した。先住民族との交渉に巧みで,90年にはニューフランスを南方から攻撃してきたイギリス軍を撃退し,ニューフランス防衛の基礎を築いた。南のイギリス植民地に比べ圧倒的に人口の少いニューフランスが,18世紀なかばまで再三のイギリスによる攻撃を持ちこたえたのも,フロンテナクによる防衛組織づくりの成功のゆえとされる。 J.タロン司祭 F.ラバルと同時代人で,ニューフランスはこの頃隆盛をきわめた。

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世界大百科事典(旧版)内のフロンテナクの言及

【ニューフランス】より

…そこで第3期には,フランス蔵相コルベールの指揮の下に植民地はフランス国王の直轄するところとなり,総督,地方長官,司教の形成する地方政府の樹立とフランス正規軍の派遣が行われた。この第3期では,フロンテナク総督(1672‐82,1689‐98),J.B.タロン地方長官(1665‐68,1669‐72),F.ラバル司教(1659‐1688)らが実権を握った17世紀後半が最盛期とされる。しかしタロンによる工業振興は成功をみず,ニューフランスの経済的基盤は一貫して毛皮取引であった。…

※「フロンテナク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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