フランスの政治家。オーベルニュ地方の貧家に生まれ、苦学して法律を学んだ。弁護士として名をあげ、1914年の総選挙で下院議員に当選。社会党内では最左派に属したが、1919年の総選挙で落選すると社会党を去り、しだいに右傾化した。下院議員(1924~1927)、上院議員(1927~1940)を務め、その間、公益事業相(1925)などを歴任し、1931~1932年には首相を務めた。その後世界恐慌下の1935年6月ふたたび首相となり、国内ではデフレ政策、国外ではナチス・ドイツに対抗するための親イタリア政策を推進した。しかし、おりからのエチオピア戦争ではムッソリーニの侵略政策を黙認したとして左翼の攻撃を浴び、1936年1月退陣。それ以後、左翼優勢の共和政に活動を封じられたが、1940年、フランスがナチス・ドイツに敗北すると、第三共和政廃止とビシー政権発足に決定的役割を果たした。新体制下で副首相となり、一時はペタン国家主席の不興を被って引退(1941)、翌1942年首相に返り咲き、第二次世界大戦中、対独協力政策を実行した。このため、戦後反逆罪で死刑となった。
[平瀬徹也]
フランス北西部、マイエンヌ県の県都。人口5万0947(1999)。パリの西南西274キロメートルにあり、マイエンヌ川に臨む。行政・商業の地方中心地、農産物の集散地。また司教座の所在地で、ロマネスクやゴシック様式の教会が多く、大聖堂の一部は11~12世紀のもの。ほかに、12世紀の城壁が残る古城、ルネサンス風の城など、歴史的建造物が多い。電子、機械、電話機器、印刷、食品などの工業がある。フランス革命中の1793年、反革命内乱に発展したバンデーの反乱は、共和派との間にこの地で激しく争われた。
[高橋伸夫]
カナダ、ケベック州南部の都市。モントリオール北西のジーザス島に位置する。人口34万3005(2001)は同州第2位である。モントリオールの住宅街を形成し、1965年に14の町村が合併して誕生したものである。島はモントゴメリー島として知られていたが、1699年にイエズス会に譲渡され、定住が始まった。
[山下脩二]
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フランスの政治家。苦学して弁護士,次いで社会党の下院議員となったが,しだいに右傾した。1931-32年と35-36年に首相となり,34-36年には外相も兼務してフランス外交を主導した。40年6月ドイツに対して休戦後,第三共和国憲法の廃棄とペタン元帥への全権賦与を説いてビシー政権の成立に大きな役割を演じ,副首相,首相となってドイツに協力したが,フランスの解放後反逆罪で死刑に処せられた。
→ビシー体制
執筆者:山極 潔
フランス領北アメリカの聖職者。カトリックのケベック教区初代司教。1659年ローマ教皇の命によりケベックに来住し,88年病気のため司教職を辞したが,その後も死去するまでニューフランス植民地における布教に専心した。1663年植民地政治組織の改編で総督,地方長官,司教の3人が最高評議会を構成したが,その権威の下にラバルはインディアンへの酒類売却の禁止や教育制度の充実を図った。
執筆者:大原 祐子
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…1878年遠心クリーム分離機を発明し,その原動機としてタービンを研究,83年に単式衝動タービンを完成した。これは,円周上に多数の羽根をつけた車に蒸気を噴射させ,羽根車を高速回転させるものであったが,以後,回転軸受,材料,臨界速度問題に取り組み,89年には蒸気噴射孔断面積を変化させた独得の噴射ノズル(ラバル管,ラバルノズル)を完成し,回転羽根車への超音速ガス噴射を可能にした。また高速はすば歯車を製作し,蒸気タービンを低速回転のポンプ,発電機,舶用機関へ利用する途を開いた。…
…1524年,ジョバンニ・ダ・ベラツァーノが北アメリカ大陸大西洋岸に到達して以来,1803年合衆国のルイジアナ購入により消滅するまで,北アメリカ大陸に存在したフランスの植民地の総称。しかし狭義には,1605年のシャンプランによるポール・ロアイヤル建設から,1763年のパリ条約によるケベック植民地のイギリスへの割譲に至る158年間のフランス植民地を称する。ニューフランスの統治は,1605年から27年の第1期,27年から63年の第2期,63年から1763年の第3期に分けることができる。…
…停戦協定によって軍隊は治安維持に必要な兵力を残して解体され,占領軍の費用はフランスが負担することとなり,ドイツの戦争遂行上の必要が行政に優先されるなど,きわめて従属性の強いものであった。政府内部ではペタン自身はドイツへの譲歩を最低限に抑え,とくにほとんど無傷で残っていた海軍力や植民地支配体制の温存をはかったといわれるが,副首相であったラバルPierre Lavalは積極的な対ドイツ協力を目ざしたとみなされ,40年12月には彼が突然解任され逮捕されるという事態が生じた。しかし後任のP.É.フランダンはドイツ側の介入によりまもなくダルラン提督に替えられ,のちにラバルも政府に復帰(1942年4月)して政府の中心の地位につき,新たに権力を強化していった。…
…停戦協定によって軍隊は治安維持に必要な兵力を残して解体され,占領軍の費用はフランスが負担することとなり,ドイツの戦争遂行上の必要が行政に優先されるなど,きわめて従属性の強いものであった。政府内部ではペタン自身はドイツへの譲歩を最低限に抑え,とくにほとんど無傷で残っていた海軍力や植民地支配体制の温存をはかったといわれるが,副首相であったラバルPierre Lavalは積極的な対ドイツ協力を目ざしたとみなされ,40年12月には彼が突然解任され逮捕されるという事態が生じた。しかし後任のP.É.フランダンはドイツ側の介入によりまもなくダルラン提督に替えられ,のちにラバルも政府に復帰(1942年4月)して政府の中心の地位につき,新たに権力を強化していった。…
※「ラバル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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